で自分を阿呆あつかいにするようにさえ、なり兼ねないものでもないんだ。ねえ、カテリーナ・イリヴォーヴナ! あっしはね、女からただ一時の快楽をせしめさえすりゃ、あとは野となれ山となれ式の、ほかの奴らとは違うんですぜ。あっしはこう見えても、恋がどういうものかぐらいは、じかにこの胸で分っているつもりですぜ。そいつがまるで黒い蛇みたいに、あっしの心の臓に吸いついて離れないことも、ちゃんと分ってるんですぜ。……」
「なんだってお前さん、そんなことをくどくどあたしにお説教するのさ?」と、カテリーナ・リヴォーヴナは相手をさえぎった。
 彼女はセルゲイがふびんになって来たのである。
「カテリーナ・イリヴォーヴナ! つい話がくどくなっちまうんですよ。いやでも、くどくならずにゃいられないんですよ。だって、そうじゃないですかい、万事もう事の筋みちがちゃんと読めていて、運命はきれいさっぱり決まっているんだ。おまけにそれも、いつか遠い先のことなんかじゃなくて、明日《あす》の日にもこのセルゲイの奴は、この屋敷うちに影も形もなくなっちまうんだ。これが平気でいられますかい?」
「だめよ、いけないわ、そんなこと言うもんじゃないわ、セリョージャ! あたしがお前さんから離れて暮すなんて、そんなこと決してありっこはないわ」と相かわらず情合いのこもった声で、カテリーナ・リヴォーヴナは男をなぐさめるのだった。――「かりに万一、そんなことになったとしても……その時は、あの人が死ぬか、あたしが死ぬか――とにかくお前さんは、あたしといつまでだって一緒だわ。」
「いいや、そいつはとても、ねえカテリーナ・イリヴォーヴナ、望みがありませんや」とセルゲイは悲しげにまた侘びしげにかぶりを振りながら答えた。――「こんな恋をしたばっかりに、あっしは生きているのが、さっぱり味気なくなっちまった。同じ惚れるにしても、いっそおとなしく、こっちと身分の釣り合った相手にしといたら、こんな苦しい思いはせずに済んだろうになあ。一たいあんたという人を、このあっしが末永く恋女にして行けるとでもいうんですかい? それがあんたの何か名誉になるとでもいうんですかい――あっしずれの色女だということがさ? 叶うことならあっしは、聖なる神の祭壇の前で、あんたの良人になりたいんだ。そうなったらあっしは、そりゃ勿論あんたに対しちゃ自分は一目も二目も置かなけりゃならん男だということは二六時ちゅう肝に銘じて忘れないまでも、とにかくあっしは、じぶんの細君を心から尊敬しているという点にかけちゃ、立派に良人たる資格のある男だということを、大っぴらに世間の奴らに見せつけてやれる自信があるんだがなあ。……」
 カテリーナ・リヴォーヴナは、このセルゲイの言葉をきき、彼の嫉妬のはげしさや、自分を妻にしたいという願いを知って、頭がくらくらっとしてしまった。なかでもこの最後の願いは、よしんば当のその男と結婚まえに身も心も許しきった仲であったにしろ、女性にとってはやはり、いつ耳にしても嬉しい言葉なのである。今やカテリーナ・リヴォーヴナは、セルゲイのためなら火にも水にも飛びこもう、牢屋にもはいろうし十字架にものぼろう、という覚悟がついた。言いかえればセルゲイは、女をすっかり惚れこませてしまって、わが身にたいする女の無辺無量の献身を、まんまとその手に収めたわけである。女はじぶんの幸福に狂気せんばかりだった。彼女の血は湧きかえって、もはやそのうえ男の言葉に耳をかたむける余裕はなかった。彼女は、いきなり手の平でセルゲイの唇をおさえると、男の頭をじぶんの胸に押しつけながら、こう口走るのだった。――
「いいわ、そうなったらもうあたし、立派な商人にお前さんを仕立てあげてみせるわよ。そしてお前さんと、天下晴れての夫婦ぐらしをするんだわ。ただねえ、お前さん、事がまんまと落着するまでは、下手にくよくよしてあたしをがっかりさせないでおくれよ。」
 そこでまたもや、接吻と愛撫がひとしきりつづいた。
 年寄りの番頭は納屋で寝ていたが、深い眠りのひまひまに、夜ふけの静寂をみだしてひびいてくるさざめきを、だんだん耳の底に感じはじめた。どうやらそれは、どこかその辺に腕白小僧が寄りあって、ひとつあのよぼよぼ爺いに一泡ふかせてやろうじゃないかと、さかんに悪計をめぐらしていでもするような、ひそひそ声と忍び笑いでもあったし、かと思うとまた湖の妖精たちが、行き暮れた旅人か何かをなぶり物にしているみたいな、甲だかい陽気な笑いごえでもあった。それはほかでもない、月の光りをぴしゃぴしゃ撥ねかえしたり、ふっくらした毛氈の上をころげ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]ったりしながら、カテリーナ・リヴォーヴナが亭主の使っている若い番頭を相手に、じゃれたり、いちゃついたりしている声だったのである。
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