妙な伎倆にふさったもので、つまり大した評判だったわけだが、気の毒なことにこの美術家は、芸術的創作の自由を尊重しない粗野な群衆の犠牲になって、身をほろぼしてしまった。石責めにあって殺されたのだったが、それというのも彼が、町じゅうの人の膏血をしぼり上げたイカサマ銀行家の死顔に、「神と物語る至福の表情」を与えたからであった。そのイカサマ師のおかげで幸福になった遺族たちは、そんな註文を出して故人への感謝の念をあらわそうとしたのだが、その註文の芸術的執行人にとっては、それが死に値いしたというわけである。……
 これと全く同じ非凡な芸術家の部類にぞくする名人が、実はわがロシヤにもいた。

      ※[#ローマ数字2、1−13−22]

 わたしの弟の乳母をしていたのは、脊の高い、しなびた、それでいて頗る姿のいい婆さんで、リュボーフィ・オニーシモヴナという名前だった。この婆さんはもと、カミョンスキイ伯爵の持物だった旧オリョール劇場の女優をしていた女で、わたしがこれから話そうという一部始終は、おなじくオリョールの町で、わたしの少年時代に起ったことなのである。
 弟はわたしより七つ年下だ。したがって
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