ーシモヴナはここで註訳を入れて、半ば崩れ落ちている灰色の塀の一ばん向うの隅の方角を、片手でさし示すのだった。

      ※[#ローマ数字15、189−10]

 彼女が牛小屋なんかに入れられたのは、ひょっとすると気違いみたいなものになったのではあるまいかと疑われたからだった。そんなふうに畜生じみて来た人間は、牛小屋へ入れて試して見ることになっていた。というのは、牛飼いというものは元来が年の入った、物に動じない連中なので、精神病の「鑑定」には打ってつけだとされていたからである。
 リュボーフィ・オニーシモヴナが正気に返った小屋を受持っていた縞服の婆さんは、とても親切な女で、ドロシーダという名前だった。
 ――そのお婆さんは、夕方の身仕舞いをしてしまうとね(と、乳母は物語をつづけた――)、自分で新しいカラス麦の藁でもって、わたしの寝床を作ってくれました。それをまるで羽根ぶとんのように、ふんわり敷いてくれると、こんなことを言いだしたのです。――
「なあ娘さんや、今は何も包みかくさず、あんたに話してあげようね。あんたのことはまああんたのこととしてさ、このわたしだってやっぱりお前さんと同じように、生まれてからこの日まで何も縞の着物一つで押し通したわけでもないのさ。わたしだってわたしなりに、ほかの暮らしを見も聞きもしたっけが、桑原桑原、今さら思い出したところで始まらないよ。ただあんたに言っておきたいのはね、こうして牛小屋なんぞへ送られて来ても、決して自棄《やけ》なんか起してはいけないよ。送られて来た方が結句ましなのさ。ただね、この怖ろしい水筒にだけは気をつけなされよ……」
 そう言うと、首に巻いたプラトークの中から、白っぽいガラスの小壜を出して見せてくれました。
 わたしが、
「それは何ですか?」と聞くと、
 婆さんは、
「これがその怖ろしい水筒なのよ。なかには憂さを忘れる毒がはいっているのさ」と答えます。
 わたしがそこで、
「わたしにもその憂さを忘れる毒を下さい。何もかも忘れてしまいたいのです」と言うと、
 婆さんが言うには、――
「飲むんじゃないよ、これは火酒《ヴォートカ》なのさ。いつぞやわたしは、自分で自分の締めくくりがつかなくなって、飲んじまったのよ……親切な人がくれたものでね。……今じゃもう我慢がならない――飲まずにゃいられなくなっちまったのさ。だがね、お前さん
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