。そのようなものは西洋のどこにもないから、いうまでもなくニッポン特有のものである。今私共の問題は、それが何かの必然性を持つかどうかという事である。つまりそのようなふしの根底は、ニッポン語そのものの性質の中にあって、ニッポンのふしとニッポン語とは、必然的に離れられない関係にあるかどうか、というのである。
 これは私の口癖でなく、実際難問である。それを考えるためには、まだまだ沢山の実験と沢山の観察とがいる。
 私はこれまでニッポンの言葉やニッポン語の文句を読んだ場合や、あるいは唄った場合をフィルムに記録した。そしてそれを高さだけについて測定して、いろいろのグラフをかいてみた。そしてニッポン語とニッポンの唄と何か離れられない関係があるかどうかを考えようとした。もちろんこのような実験は、そう急にはまとまらない。今私はそれについて何も断案を下すことは出来ない。ただこれまでに私はおぼろげに知った事は、前にニッポン風な唄の声の質について述べた事と非常によく一致している。それは次のような事である。――ニッポンのふしはニッポンの唄の文句を読んだ場合と性質がよく似ている。ニッポンのふしはニッポンの唄の文句
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