に害毒を流しているか、その程度を知らない。もし実際に害毒を流しているものなら、ナカヤマ・シンペエの名曲『枯すすき』以来すでに二十年近い時間がたっているから、何か的確な証拠を私共は見せられていいと思うが、私は今までこれぞというほどの証拠を見せられた事がない。流行唄の毒害という事は、あるいは音楽を知らない老教育家先生だちのちょっとした幻想ではないかとも私は思っている。老教育家先生だちの本当の頭痛の種になっていい害毒は、まだまだ他に沢山ある。
 私は大衆の一人である。流行唄は非常にすきである。あれが世の中からなくなったら、世の中はどんなにか淋しいだろう。そして今ニッポンは二つの音楽の系統を持っている。ニッポンのと西洋のとである。私はこの二つは同じように私共の生活の中に栄えて行っていいと思う。そのニッポンの系統を流行唄は確に代表している。私は学校唱歌や国民歌謡も育て上げて物にしたいと思うように、流行唄ももっと盛大にしたいと思う。少し度胸をひろくして見れば、どちらも同じく御代万歳を寿ぐ声である。



底本:「音楽と生活 兼常清佐随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年9月16日第
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