人は、作ったという事を自分の名で主張しなければ損である。それで今の私共には流行唄と同時に、それを作った人のことも関心の的になる。実際大正から昭和にかけて私共は沢山の美しい、おもしろい流行唄を得た。そしてそれと同時に、それを作った人、例えばナカヤマ・シンペエという名は私共には古典的な名になった。
このような事では、近頃の流行唄はよほど芸術的な音楽に似て来た。私共はナカヤマ・シンペエの流行唄というおなじような意味で、シューベルトの「リード」とかショパンの「エテュド」とかいうように言う。それはその人でなくては出来ないものの事である。つまりその作品とその個性が離れられないように結びつけられている事である。
そこで人々はいつもこのような事を考える。――この傾向がだんだん発達するならば、流行唄も芸術的にだんだん進歩して、結局将来のナカヤマ・シンペエはシューベルトになり、『枯れすすき』や『東京行進曲』は『冬の旅』になるであろうか。
もしそうなれば、今の流行唄を目のかたきにしている老教育家先生だちにとっては誠に万歳である。しかしこの事には多少の矛盾がある。それはちょうど人間は猿から進化したという学説があるから、動物園の猿は、もう少し待ったらみな人間になって、『論語』や『孟子』を愛読するだろう、という事に似ている。しかし動物園の猿がまだ人間になったためしがない。人間は人間で、猿はいつまでも猿である。流行唄はいつまでも流行唄であり、芸術的なリードはリードである。それぞれ違った意味の存在である。
私は今せっかく出来上った国民歌謡にけちをつける気は毛頭ない。けちを付けて見ても私の得にならない。そしてあれが大いに国民の音楽教育の助けになるという事は私は信じて疑わない。そして将来あるいはその中から美しいリードが出ないとも限らない。しかしこの流行唄でない国民歌謡で流行唄をやっつけようという事には多少計画に矛盾がある。それは話がまた別である。私は国民歌謡にけちを付ける気が毛頭ないように、レコード屋さんの提灯を持つ気も毛頭、毛頭、毛頭ないが、もし私がレコード屋さんの取締役であったら、国民歌謡のようなものがいくら出来ようが、全く平気である。それはそば屋の隣に教会が出来たようなものである。物が違っているから、少しも商売の邪魔にはならない。
流行唄というものは人間の感情の一大要求である。冷い修
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
兼常 清佐 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング