という感じは決して不愉快ではない。不愉快などころか積極的に面白いと思う。ニッポン人のゾプランやテノールの声は私はすきである。もし私に唄が唄えたら、私はもちろん本格的なテノールで『冬の旅』を唄う。しかし私はニッポン人だからニッポン風にも唄って見る。それは持って生れたもので、声の綺麗なニッポン人なら誰でも唄える。西洋のド・レ・ミのむずかしい練習も何もいらない。私は『追分ぶし』も唄うだろうし、『東京ラプソディ』も唄おう。それも音楽である。そして唄いたいから唄うのに、一体誰に遠慮がいるだろう。
 月々レコード屋さんは洪水のように流行唄を作り出す。そのうちの極めて少数なものが選ばれて私共大衆の気に入って流行する。非常な厳選である。そしてレコード屋さんの必死の宣伝も今ではどれだけ大衆の選択力を支配することが出来るか、多少疑問だそうである。そのくらい流行唄は私共の生活の中に根を張っている。そしてそれはニッポン人の持って生れた咽喉で、持って生れたままの唄い方で唄われる。これに西洋音楽の系統の学校唱歌や国民歌謡ぐらいで対抗しようというのが、そもそも話が無理である。
 私は流行唄というものが、どれだけ社会に害毒を流しているか、その程度を知らない。もし実際に害毒を流しているものなら、ナカヤマ・シンペエの名曲『枯すすき』以来すでに二十年近い時間がたっているから、何か的確な証拠を私共は見せられていいと思うが、私は今までこれぞというほどの証拠を見せられた事がない。流行唄の毒害という事は、あるいは音楽を知らない老教育家先生だちのちょっとした幻想ではないかとも私は思っている。老教育家先生だちの本当の頭痛の種になっていい害毒は、まだまだ他に沢山ある。
 私は大衆の一人である。流行唄は非常にすきである。あれが世の中からなくなったら、世の中はどんなにか淋しいだろう。そして今ニッポンは二つの音楽の系統を持っている。ニッポンのと西洋のとである。私はこの二つは同じように私共の生活の中に栄えて行っていいと思う。そのニッポンの系統を流行唄は確に代表している。私は学校唱歌や国民歌謡も育て上げて物にしたいと思うように、流行唄ももっと盛大にしたいと思う。少し度胸をひろくして見れば、どちらも同じく御代万歳を寿ぐ声である。



底本:「音楽と生活 兼常清佐随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年9月16日第
前へ 次へ
全7ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
兼常 清佐 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング