、純粋にピアノの音楽の形式の上で再現されなければならぬ。此処で女史は恐らく一度途方に暮れたかもしれぬ。
女史のピアノをただピアノとして見れば、例えばペダルに、メロディの弾き方に、fやpに対する注意に、特に譜を正しく読む事に、まだ多少の工夫の余地はあったであろう。あるいは和声やコントラプンクトや、曲全体の構造などについてはまだ多少学ぶべき余地もあったであろう。ましてピアノ音楽史上の思潮を考え、自分の立脚地を明かにする事については、更に幾多の研究を要したであろう。
例えばベートーヴェンのゾナーテが果して女史の弾いたように弾かれるべきものかという事については私にはよほど疑問がある。私は一九二二年四月二十八日にエミール・ザウエルの『月光曲』を聞いた。また近頃或る雑誌でそのザウエルが久野女史の『月光曲』を聞いて大に賞賛したという事を読んだ。もちろんこの老巨匠は女史の天才と素質に対してあらゆる褒辞を惜まなかったであろう。しかし女史の『月光曲』そのままを優れたピアノの演奏として賞賛したとは、私にはどうしても受け取れない。ザウエルは恐らく女史の望み多い将来に対してブラヴォーを叫んだのであろう。私共
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