に関係するから、音楽としては誠に重要な一問題である。たとえばショパンの『プレリュード』Db[#「Db」は縦中横] 長調で、はじめ Db[#「Db」は縦中横] の部分をpで弾いたあとで、中の c#[#「c#」は縦中横] の部分をfで弾いたら、その部分のピアノの音が一体で早く出すぎると感じなくてはならぬはずである。
 あるいは今ショパンの『エテュード』As[#「As」は縦中横] 長調――作品二五の第一――を弾くとする。その第一七小節から五小節の間は右手が六つの十六分音符を叩く間に左手は四つの十六分音符を叩く。この曲をクリンドヴォルト版に従って四分音符一〇四の速さで弾くとすると、この小節の左右の指の喰違いの時間は、ざっと〇・〇五秒である。槌の動きの遅いピアノでは、これはほとんどピアノのそのものの音の遅れの時間に近づいてくる。もし左手も相当強く叩けば、この喰違いの時間は非常に曖昧になる。もしここをペダルをかけて弾くなら、この時間は決して普通の人の耳にはいらない。
 誰でも弾くツェルニーの『四〇練習曲』の第二六A長調は、ペテルス版では曲の速さが八分音符三つが八八となっている。この場合では右手と左
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