由のあるところで、実際いろいろに変っている。そしてその事は音楽批評家にもピアノの師匠にも、まだあまり考えられていない。
私は楽器は大体二つに分類されると思う。楽譜のとおりに弾けば、大体で楽譜のとおりの音の出る楽器と、楽譜のとおりに弾いても楽譜のとおりの音の出ない楽器である。風琴やヴィオリーネは前の方で、ピアノは後の方である。ピアノで或る曲を弾けば、その音は楽譜に書かれた音とはかなり違ったものになる。そしてそれは誰が弾いても同じ事である。
たとえば今 c'[#「c'」は縦中横] の音を或る速さで二度つづけて弾いたとする。楽譜には同じ c'[#「c'」は縦中横] の音符が二つ書いてある。そしてこの二つの音は全く同じ c'[#「c'」は縦中横] の音だと批評家も師匠も聞いている。この事を疑った批評家をまだ私は知らない。
しかしピアノの構造の上から考えて見れば、そんな事はあり得ない。この二つの音の間には、音の混雑から起る相当な音色のちがいがなくてはならない。ピアノは音響学的には甚だ粗末な機械で、音を止めるものはただ一箇のダンプァーだけである。そしてそのダンプァーは柔かなフェルトで出来ていて、平台ピアノではその重さで上から絃を押えるだけの仕掛になっている。しかもそのダンプァーの位置は絃の端の方である。しかし長いピアノの絃には相当な張力がかかっているし、絃の質量も相当ある。今その絃が或る程度のエネルギーをもって鳴り初めたとしたら、あんなダンプァー一つくらいでその振動が一瞬間にぱたりと止まるわけがない。その止まりきらないところを第二回目に叩いたとしたら、音は当然混雑するはずである。
もしダンプァーが絃の振動を一瞬間に止めたとしても、ピアノには響板というも一つの振動体がある。この響板はピアノの音には絶対的に必要なものである。しかしこれにはダンプァーも何もない。全く鳴らしほうだいの鳴りほうだいである。どんなパデレウスキーでも一タッチごとにピアノの下にもぐって、その響板の音を止める事は出来ない。或るエネルギーをもって響板が鳴り初めたら、それが全く静止するまでは次の音は叩かれないはずである。響板が鳴り止む前に次の音を叩けば、その音は必ず前の音と混雑するに決っている。
これは事実上その音を撮影して見ればわかる事である。
c'[#「c'」は縦中横] の音を二度つづけて叩いた時の第二回目の
前へ
次へ
全12ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
兼常 清佐 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング