れだけの曲を弾かなくてはなりません。しかしレコードなら演奏家の姿がわからないから二人して弾く事も出来ます。右手と左手に一人ずつかかれば、さしもむずかしいこの曲もかなり楽に弾かれます。ただコルトーがそれを指揮さえすればいい事になります。実際この演奏には到るところに音の長さの伸び縮みがあります。それが非常に目立ちます。また音の強弱の差も相当鮮かに出ています。このようなものはコルトー自身が考えたもので、他の人にやらせたらまた違ったようにやるでしょう。だからそれだけをコルトーが指揮さえすれば、――そしてその指揮の程度はそれが電気的に録音され、再生せられて、音楽として効果のあるという範囲で十分です、――実際の演奏は助手を使ってやっても出来るでしょう。それでもその僅かな強弱や長短の工夫はコルトー自身のものですから、それをコルトーの演奏だといっても差しつかえありません。そして僅かにこれだけの事がコルトーのものだともいえるでしょう。詮じつめてみると、結局演奏家の世界はそんなところではないでしょうか。
私が、レコード会社の社長でしたら実際これだけの事は実行してみましょう。それは恐らく音楽のために何かを
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
兼常 清佐 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング