は淋しい思いであった。
 その外喜劇ファンの僕には、モント・プルの家庭喜劇、チャップリンのあの髯やステッキ、ダブダブのズボン、そのまま真似をした、にせチャップリン、ビリー・ウェストや田園趣味のチャーレス・レイの正喜劇、漫画映画、とくに、フラッシャーのフェリックス(猫の主人公)の「インキ壺の中なら」なぞは、めずらしいので眼を丸くした。ロイド眼鏡のハロルド・ロイドの長篇喜劇等、喜劇ファンであった僕には語りつくせぬものがある。
 この頃中学生の僕は、映画のフィルムの一齣のコレクション[#「コレクション」は底本では「コレクシンョ」]に夢中になり、お小使いはすべてプロマイドとフィルムになってしまった頃で、夢に見るまで恋いこがれた、パール・ホワイトには和英字典に首っきりで、ファン・レターを書き、三カ月ぶりで、親愛なる日本の友の小野佐世男よという大型の写真を送られた時には、まったくこおどりをして足の踏むところを知らず、たいへんな感激であった。
 アー、あの頃の純情さよ!
 中学二、三年の頃、英国のゴーモン会社であったと思うが、「プロテア」というシリーズものの美しい女賊物語り映画を見てから、プロテアに扮する女優が真っ裸にゴムのような真っ黒な肉じゅばんの黒装束で、あわやという時にはスルスルとドレスがぬげヌルヌルに光る黒肉じゅばんで難をのがれるその色香のにおうような美しい姿に魅せられ、僕はそのプロマイドを大切に胸に秘めたようなありさまであった。その素晴しい女優の名をわすれてしまった。徳川夢声さんに会ったらわすれずに聞こうと思っている。
 伊太利女優の、ピナ・メニケリの豊艶なあで姿は、一幅の泰西名画が動きだしたようで少年の心うちでもその芸術性は、うなずけるような思いであった。「火」「ふくろ」なぞの青色や紅紫の染色にそめられた宝石のような色調の美しい淡い光りは、いまだに眼にのこり、フランチェスカ・ベルチニイの立派なあごから胸へ、胸から腰部へ流れるやわらかい線は、まるで幻想の図の出来事のようでたまらぬ想い出である。
 ロシアの名女優、アラ・ナヂモバの異国的な情熱さと、東洋的な面ざしに僕は詩情さえ感じたのである。「レッド・ランタン」のファンタスティクのシーンは素晴しいものであった。
 この頃、若い少年期の青春発動を自分でもたまげるほど驚いた馬鹿にセンチメンタル時代に、連続映画にかわって、まるで
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