いるような時にそういう姿になるような気がする。ボクなんかの考えとしては、母の胎内にいる時ということが頭にあるんじゃないか。先入意識にあるんじゃないか。女性の腹の中でボクは育ったのですから。そんな気がして、何か厳かなような気がして、自分の生まれ落ちたその女性というものを非常に恐れる。尊敬と、その中に自然に恐れているような気がするのです。これが何か男が姙娠するような、つまり赤ちゃんを産めるのなら対等的な恐怖なんかないような気がするのでそんな気がするのです。
 男というものは女性と違って社会に活動するのには非常な敵を持っている。七人の敵があるということは事実なんで、現在ではそれ以上のものがある。乱暴な自動車、乗物、汽車などは不完全な乗物で、日々の新聞を賑わすような物騒なできごとが多い。いつそういうできごとが自分の上に起るか分らない。そういう危険に、男はしょちゅうさらされている。会社に行けば何となく上の方の人に神経も使わなければならない。非常に外に出ると消耗するのです。それですから、われわれのような絵を描く者さえも家を出る時は家内がどんなことがあっても気持よく出さなければいけない。一日の出発ですから、どんな暗いことがあってもそれを顔に出さずに女房が送ってくれるというのが非常によくなる。元気が出る。それをうちの女房はやるんで私は感謝している。
 ボクは酒飲みなんで、遅く帰る。それで女房をだます法なんですがいろいろ手があるのです。このごろはいきなり女房をおどかしてしまう。帰ると玄関を入るなり、
「危なかった!」
 女房はおころうとするんだが、
「どうかしたんですか」
 と、思わずいうと、
「いま自動車にひかれそこなった」
 しかしいくども使ったんで失敗に終った。結局ウソをつくということはいけないんで、女房と家庭の間にはウソがあっては悪い。私の経験上、女房というものは絶対にだまされないものだ。これはどこの家庭でも絶対なもので、もしか自分の妻を生涯だましおわせるという人があったらこれは大悪人、絶対に最悪の奴に違いないとボクは思うんです。
 それからいたわりがカンジンです。[#「カンジンです。」は底本では「カンジンです 」]家庭が冷たい家には亭主がなかなか帰らない。滋味のある生活です。私は結婚するのに酒は飲んでもいいが、フグを食べることだけはやめてもらいたいという条件が入りました。一
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小野 佐世男 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング