校によつて生じた空白は大きかつた。自業自得の報ひがやつてきた。
暑いさ中を一日机にとりついて居らねばならぬ情なさ……。殊に英数は問題にならぬほどおくれてゐた。それでも吉田先生の厚い御厚意で毎日教へて頂くことになつた。残暑のきびしい中を毎日々々リーダーをかゝへて、市ヶ谷から小田急線の経堂まで通つて、先生お直々に教へていたゞいたのである。
皆が一学期かゝつてやつたところを、私は十日で覚えねばならない。私は勿論だが、先生は私以上に真剣でいらした。叮寧に一つ々々手をとるやうに教へて下さる。発音も滅茶滅茶なら、文法は全然しらぬ、作文もしたことがない――全く初歩の私を「これはかう、かういふときはかう……」と一々親切にみちびいて下さつた。
おぼえなくてはならない単語は、御自身英文のタイプをうつて私に下さり、私がムダな労力を使はずにすむ様にまでして下さつた。私は往復の電車内は勿論、歩きながらもリーダーをよんだけれど、私にはすることがありすぎた。数学もしなきやならないし、国語も、自然研究もしなければならない。
誰も教へてくれるものがないから実に心細い。英語の単語をおぼえにかゝると、ふと、数学の忘れさうなところを思ひ出す。(なんだツけ……)とあわてゝ本を繰つてみる。英語へ、数学へ、国語へ、自研へと一つの頭は四方へちつて結局どれもおぼえさせない。
日もないし、する事は山程、いゝ加減暑さも手伝つて、私は毎日針のむしろに坐つてゐるやうに、ぢれるばかりで落着けなかつた。
もと/\あまり鋭くない頭だから、吉田先生にも申し訳ないほど、どれもまとまらない。その中に欠員が出来てムリな復校だけは免れることが出来た。しかし、それに対する志願者、すなはち、私に対する競争相手も出来たわけだ。特別なお計らひで、私一人は皆と別に簡単なテストでいゝことにして下つた。
だのに、テストの成績はふた眼とみられないほど、我ながらひどいものであつた。私は全く、あのときのことを思ふとゾツとする。吉田先生にあれだけ教へて頂いて……ムリな復校をおねがひして……それだけでも抜群の成績をとらなければならないところを、更に特別やさしいテストをして頂きながら、あの醜態……私は日の目も仰げぬ心地だつた。
始業式の日、井上先生(受持の)が、「普通の編入でしたら、とても這入れない成績でしたが……」とおつしやつたときには、泣き出したいほど口惜しかつた。よつぽど来学期うけなほさうかと思つた。しかし、折角、吉田先生があんなにお骨折り下さつたのに、今更どうすることも出来ず、泣きね入りに、中組に入つた。
入つてからも、私は妙に沈んでゐた。「当りまへなら、とても入れないところを」それは本当だ。私は決して井上先生の、あのお言葉が嘘でないことをみとめる。しかし、あのお言葉が私の心に暗い影をおとしてしまつたことも事実である。
全く、あれは私にとつて最大の苦痛であつた。あの一言が忘れられないために、どんなに私は辛い苦しい悲しい思ひをしたか。どんなに、あの一言が私の心を傷つけたことか。それはとても想像以上のものがある。私はつく/″\辛いと思つた。情ないと思つた。始終、何か悪いことでもした人みたいに、ビクビクと人の目をうかゞふ様になつた。吉田先生や伊藤先生や井上先生の前に出ると、どうしても堂々と、まともにみられない気がした。私はひがんでゐたんだらうか。それは卑屈であつたらうか。……とにかく、この苦い経験から私は、どんなに自分に都合のいゝことであつても、正しい順序をふまないでは却つて、苦しい思ひをしなければならないのだといふことを知つた。
しかし、御恩は御恩だ。私は、まだ何の御恩返しもしてゐないのを、いつも心苦しく思つてゐる。
転校の思ひ出はどつちも全く苦い思ひ出だ。
しかし、この苦い思ひは後々ずゐ分役に立つだらう。
今迄の、このみぢかい間にも、この苦さのために救はれたことが何度かあるんだから。
底本:「みの 美しいものになら」四季社
1954(昭和29)年3月30日初版発行
1954(昭和29)年4月15日再版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
2008年2月27日作成
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