く反対するやうな子だつたから、この定期試験などには極度に憤慨した。一人で憤慨してみるが、大勢如何ともなしがたく、(実際バカらしい、こんなの……)と思ひつゝ長い廊下を、往つたり来たりして、天井を睨みながら、大声で暗誦をやつたものだ。暗誦はやさしいから好きだつたのだが、かうして何から何まで暗誦してゐるうちに、その中味が実に空虚な味気ないものだといふことを知つた。
 女子大では、大好きだつた英語や、歴史や、地理も大きらひになつてしまつた。
 学校も勉強も全くつまらない。殊に代数がいやだつた。代数そのものは好きだつたが、先生がいやなんだ。
 私が転校試験を受けたときに、理科の口頭試問をやつた先生――そして、会ふや否や
「ヘツヘツヘ。あなたが局長さんのお嬢さんですか、さうですか、ヘツヘ、どちらの学校……エ? 女子大の附属、さうですか、どうりでヘツヘツヘ……学校は東京に限りますな」とつまらぬことばかりしやべる――先生なのだ。先生は先生として敬ふのが生徒の道ではあるけれど、この先生だけはあふのもゾツとするほどいやだつた。時間中、前にもきいたのに、「どこまでやりました? オゝこゝまで……やつぱり東京はいゝですからね」と皆がきいてるのに、そんなことを云つてみたり、わざ/\傍へきて
「どこかわからん所はないか」の「教へてやる」のと云ひ、皆にノートを出させて、私のだけ「おゝ、よく出来ました」と、ほめたり……そして、皆にいふのはいつも「いゝところの家の子でないと、どうしてもダメだ」とか、「いゝ家の子は家庭教師をつけるから、よく出来る」とか、そんなことばつかりだ。あんないやしい、先生らしくない先生には、始めてお目にかかつた。思ひ出してもゾツとする。
 何もかもがつまらなくなつて仕様がなくなつた。憤慨しながら私もヤケクソで形式的な勉強をする様になつて来た。今、名古屋での足あとをふり返ると、私自身が冷汗が出るほどいゝ加減だつたことを思ふ。私は、従来のつめこみ式、及び形式的な勉強がほんとに、どんなに実のない、つまらないものであるかを知つた。しかも、それは只わかつた[#「わかつた」に傍点]といふだけ[#「だけ」に傍点]にすぎなかつた。只、悪い! 悪い! と叫んだが、肝心の「それをどうしてよくするか」といふことについては考へも研究もしなかつた。悪いことを憤慨するだけで、却つてその憤慨する自分は、黙つて学校の命ずるまゝをやつてゐる人よりはるかに劣つてゐた。偉さうなことを考へ、又言ひながら、私は云へば云ふだけ、叫べば叫ぶだけ後退してゐたのだ。自暴自棄《ヤケクソ》だつたから勉強はしない。従つて出来ない。髪は結ぶなんてうるさいこつた。切つてしまふ。制服制帽にしろなどは、今の世に非合理だと、今迄のセーラーにランドセルで押し通す。
 何が偉いといふんだ!
 みんなは何と思つたらう。(生意気な青二才奴、親の威光を笠にきて勝手なことをする。それになんだ! 局長の子なら、もう少し出来さうなもんだ)と云つたかもしれぬ。(女子大、女子大つてあんな奴が来る様ぢや大したことはない)と笑つたかもしれぬ。
 私が偉さうに云つたことは、反つて私の青さをふれまわすに役立つただけだつた。それのみか、お父様、お母様、女子大迄を悪く言はせてしまつた。ほんたうに私は面汚しの青二才であつた。何とお詫びしてよいか……お父様やお母様は、別に局長の顔にかけて勉強しろなんて、只の一度だつておつしやつたことはない。私が猖紅熱で長く休んでしまつたため、数学に丙をとつて来たときも、眉毛一本お動かしにならなかつたんだもの……けど、だから尚恥づかしいのだ。
 もう一歩つき入つて、なぜ考へなかつたか。悪いところを、悪いとするだけぢやあ何もならないんだ。肝心なのはその中で、どう、よりよく生きるかといふことだ。
 私が転校はいやだと云つたとき、お母様は、「でも学校を代つていろんな善さをみつけ出すのも無意義ぢやあないんですよ」とおつしやたツけ。だのに、私はあの転校をほんとに故意に無意義にしてしまつた。残念だ。全く残念だ。あのとき、もう一寸と心すればS校のよさもわかつたらうに。あの時の自分を考へると、お友達に顔をあはせるのすら恥かしい。
 自らを不愉快にし、自ら無駄にした一年間がすぎて、私は、本願成就とばかり大よろこびで名古屋を逃げるように東京へ帰つて来た。
 引越し騒ぎが一先づ落着いて、さて、なつかしの女子大や如何に? と様子をきくと、今の所、欠員はないとのこと。しかし、まあ一学期だけでも居たことのあるお陰で、吉田先生や伊藤先生が大変お骨折り下さつて、「欠員はないけれども復校させて上げませう」といふことにして下さつた。しかし、只ぢやあない。国、英、数、自然研究の簡単な試験がある、といふ。私は又々苦しまねばならなかつた。
 一年の転
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