うなことをしましたね。でもこれは運命なんだから、これだけの運しかもつて来なかつたんだとあきらめませう。ガツカリしちやあ駄目ですよ」
 とおつしやつた。私はお母様にさう云はれて始めて悲しくなつた。ポロ/\と涙が耳の方へ流れて行つたと思つたら、ぐーつと胸にこみ上げて来て「わーつ」と声をあげて泣いてしまつた。お母様も泣いてらした。
「泣けるだけおなきなさい。でも泣くだけ泣いたら、もうあきらめるのよ」と云つて降りていらつしやつた。
 私のことを心配して来て下さつたんだと後になつて思ふ。
 私が下へ行つたら、もう傷口はきれいに縫つてあり、ちつともわからない位になつてゐた。大きめの箱に藁をしいて入れ、「みの」が遊んだマリやブラシや、それからお菓子などいろんなものを一しよに入れてやつた。
 そしてあの犬小屋へおいた。……

 あの日のお夕飯位不味いものは、未だかつてためしがない。お父様は、
「これからいつ空襲がある様になるかわからない。空襲でもあつたら、あいつ気が立つて仕末におへんぞ。気狂ひになるかもしれん。今死んだのは忠義だつたかもしれないよ」
 おばあ様は、
「ねえ、最後に首をガクン/\と丁度、お辞儀みたいにふつたね。お辞儀したのかもしれないよ。有りがたう/\つてね」
 お母様は、
「お医者にかゝつて、いぢられるのが大嫌ひだつたから、こんな死に方をしたんでせう。でも「みの」にしてみたら、病気になつていぢられるよりどんなにいゝか知れませんね。ほんとにあの犬は病気つてしたことがなかつたから……」と、それ/″\に、それ/″\のことをおつしやつた。
 私は黙つてゐた。
 それでなくてもあふれさうになつてゐる涙が、何か云へばあふれ出しさうであつたから。
 胸に何かつかへてる様に重苦しくて御飯がとほらなかつた。
 蒲団へもぐりこんで、私は短い時間の間におこつた、おそろしく沢山の事を次々と古い思ひ出をたぐる様に考へてゐた。嘘ぢやないかと思つた。昨夜眼がさめてみたら「みの」がワン/\吠えてたつけ、さう云へば四、五日前からいやにうるさく散歩をねだつたつけな。死ぬのを知つてたんぢやないかしらん、などゝ取り止めもないことをつぎ/\と思つてゐた。
 眼をつぶると、原をかけ廻る様子や、私を見つけてとんで来る時の姿や、散歩へ行くときの喜び方や、道をかぎまわつてゐるところ、怒つた顔、うれしい顔、嫌な顔……あらゆる時の、あらゆる恰好が眼の前に浮んでは消へた。そして最後のあのすんだ瞳へ考へが及ぶと、涙がポロ/\と無雑作におちるのだつた。
「みの」は、私のたつた一人の弟で、又何でも云へる心からのお友達だつた。私は何か嫌なことがあると、きつと原ツパへ行つて「みの」に話した。みのはいつも黙つてきいてくれる。ほんとにいゝお友達だつた。
「みの」は王様だつた。最後の最後迄王様だつた。知らないくせに、お世辞を云つて近よつて来る様な奴が大嫌ひだつた。
 又常にはいぢめながら、時によつて可愛がるふりをする様な人にもすぐかみついた。
「みの」はさういふ一徹な犬で、結局、家の人にしか馴れなかつた。
 頴川《えいせん》の水に耳を洗ひ首陽山にワラビをとつた、支那の忠臣の気持とどこか似通ふものがあるではないか。
 私たちのしつけが悪くて、あんなに利口ないゝ犬を、弱くしてしまつたのはすまなかつた。たしかに「みの」は弱かつた。が、しかし、敗けても向つて行つた、あの強い烈しい気性が忘れられない。そして静かに死んで行つた。
 何年間にも亘つて、部落を荒し廻り、暴れ廻り、遂に捕へられて静かに死んで行つた狼王ロボーの話を思ひ出す。
「みの」の一生は華やかだつた。たとへてみるなら英雄ナポレオンみたいな生涯だつた。英雄! さうだ英雄だ。「みの」は英雄だつた。私はさう思ふ。
 さうして、「どうぞ、今度は日本人に生れ代らしてやつて下さい」と祈つた。
 外ではこほろぎがきれいな声でないてゐた。
[#地から2字上げ](昭和十八年一月)



底本:「みの 美しいものになら」四季社
   1954(昭和29)年3月30日初版発行
   1954(昭和29)年4月15日再版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
2008年2月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平山 千代子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング