。……だけど、どこかイタズラッ子らしい無邪気さがあつた。――今の「みの」の眼はすみきつてゐる。悟りきつてゐる。さういふ深さがある。そして、あゝ、あんなに散歩に行きたがつてゐたのに、つれていつてやればよかつた。あんなに好きな戸山ヶ原だつたんだものと後悔した。
私はこの四、五日風邪でねてゐたので連れていつてやれなかつたのだ、今日もとび出す前迄ねてゐたのだから。
しかし、私はもうそんなこと考へる余裕なんてなかつた。別に何といふまとまつたことは考へてもゐなかつたし、又考へられなかつたが、只いろんな気持を、さつきからのいろんなことで頭が一杯だつた。
「……みの!」ハツと我に帰つて呼んでみる。「みの」も我に帰つたやうに眼をあげて、やさしく私をみる。しかし、この静かなひとときも長くはつゞかなかつた。
「……みの」何度目かに呼んだとき、やつぱり可愛く私たちを見上げたが、直ぐ、
ハツ!……ハツ!……ハツ! と苦しさうに三度大きく首を地につけたまゝ上下にふりながら、あえぐ様に息を吐いた。
そしてあのきれいにすみ切つたひとみの上には、白い膜がかぶさつてきた。
「あら、変よ。お母様、変よ」
と云つて私は鼻の先に手をやつてみた。……もう息は感ぜられなかつた。
「死んぢやつた、……死んぢやつたわ」さうは云つたが、本当に死んぢやつたとは思へなかつた。
なむあみだぶつ……なむあみだぶつ……と唱へながら、おばあ様は眼をなぜておやりになつた。
「おゝ、おゝ、可哀想にな、迷はず成仏するんだよ。あとはよくしてやるからな、ナムアミダブツ……ナムアミダブツ」とおつしやるのを夢の様にきゝながら、私にはまだ信じられなかつた。時に昭和十六年九月廿六日午後五時五十分。
西の空に夕やけがきれいだつた。
もとのまゝこの静けさの中に、私は一人ぼつちになつて坐つてゐる。私にはとても信じきれない気がした。そして「ミノ、みの」と口の中でつぶやく様によびながら、何度も頭をなぜてゐた。
しばらくして、もううす暗くなつてから、さつきの獣医さんが帰つて来た。
私は始めて自分が地面へ坐はりとほしてゐたことに気がつき、寒さを感じて部屋へ這入つた。
二階の床の上へあほ向いてねころび、電気もつけづ只ぼんやりとしてゐた。涙なんか忘れてしまつたものゝやうに。
「…………」
階段に足音がして、お母様が上つていらした。
「可哀さ
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