Resignation の説
森鴎外

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)頗《すこぶ》る

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一行|差支《さしつかえ》がないように

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](明治四十二年十二月)
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 現代の思想とか、新しい作者の発表している思想とか云うものについて話せというのですか。それは私の立場として頗《すこぶ》る迷惑です。
 もし私が現に批評壇に立っている諸君と同一な思想を持っていたなら、別にそれを発表する必要がないわけでしょう。もし変った思想を持っていたなら、それを発表した結果がどうなるでしょうか。
 それについては多少の経験を持っています。ついどうかした機会に何か言うことがある。そしてその都度《つど》不愉快極まる反響を聞くのです。
 昨今は私が何か云うと、愚痴とか厭味《いやみ》とか云ってからかわれることになっている。それだけで何の効果もない。何の役にも立たない。人に利益は与えずに、自分が不愉快な目に逢うのみです。そんなことは私だってしたくはないのです。
 現在の文芸界では active に何かしている、重立った諸君は極まっています。田山君とか、島崎君とか、正宗君とか、それから少し後に仲間入をしたような小山内君とか、永井君とか云うような諸君でしょう。それと少し距離のある方面で働いているのは夏目君に接近している二三の人位なものでしょうか。小説以外の作品を出していられる諸君は数えません。
 そこで私がそう云う諸君の下風に立っていて、何だか不平を懐《いだ》いているものとでも認められているらしく見えます。私の言うことを愚痴、厭味と極められている意味はそう云う意味かと思います。
 おおかたこんなことを言えば、即《すなわ》ちそれが厭味だと云うかも知れません。然らば口を閉じるより外はないようなものです。
 所が、私の考えている事は全く違っています。尤もこの考えている事というのが、告白であるかないか、矯飾《きょうしょく》をしていないかという疑問が直ぐに伴って来る。もっと立ち入って云えば、自分では云々と考えていると思っても、それは自ら欺いている、即ち自己のために自己を矯飾しているのかも知れない。そんな風に穿鑿《せんさく》して見ると、むしろ頭からその考えてい
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