るの。まあ、御親切様ね。どうしてそんな事が出来ると、お思ひなさるの。帽子を被つて、わたしの着てゐるやうな馬の毛の這入つた裳《も》を付けて、あの中へ這入られませうか。思つても馬鹿げてゐますわ。それに這入つて行く様子はどんなでせう。見られたものではありますまい。誰か見てゐようものならどんなでせう。厭なこと。それにあの中で何が食べられますの。それにもしあの中で。あゝ、馬鹿馬鹿しい。あなたも本とに途方もない事を考へてゐる方ね。それにあの※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の中で何か慰みになる事があるでせうか。芝居も見られませんわ。それにゴムの匂がするのですつて。溜らないぢやありませんか。それからあの中で宅と喧嘩をし出かしたらどうでせう。喧嘩をしても、引つ付いてゐなくてはなりませんのね。おう、厭だ。」
己は細君の詞を急に遮つた。誰でも人と争つて、自分の方が道理だと思ふと、人の詞を聞いてはゐられないものである。
「分かりました、分かりました。併しあなたは只一つ大切な事を忘れて入らつしやるのです。それをなんだと云ふと、イワン君がどう云ふ場合にあなたをあそこへ引き取るかと
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