ある。小さいサロンと云ふからには、別に大きいサロンがあるかと思へばさうではない。今一つのサロンも矢張小部屋である。エレナはふわりとした寝巻を着て小さい長椅子に腰を掛けて、前に矢張小さい卓を構へて、矢張小さい茶碗でコオフイイを飲んでゐた。コオフイイの中へは小さいビスケツトの切をくづし入れて飲むのである。エレナは相変らず様子が好いが、けさは少し物案じをしてゐるらしく見える。
己の這入つて来たのを見て、気の散つてゐる様子で微笑《ほゝゑ》んで云つた。「おや。あなたですか。あなた親切気のない方ね。まあ、そこへお掛けなさい。そしてコオフイイでもお上がんなさい。あなたきのふはどこへ入らつしやつたの。晩にはどこにお出なさいましたの。仮装舞踏へは入らつしやらなかつたのね。」
「それではあなたはきのふ仮装舞踏にお出でしたか。一体僕は舞踏会には行かない流義です。それにゆうべは俘《とりこ》になつてゐる人の所にゐなくてはならなかつたのです。」かう云つて己は溜息を衝きながら、面白くない表情をして茶碗を受け取つた。
「どこですと。誰の所に入らつしやつたのですと。俘になつてゐるとは誰の手ですの。ああ、さうさう。あの
前へ
次へ
全98ページ中77ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング