水準1−94−55]の胃中に入りてこゝに住居を卜し、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の持主の嘆願を容れず、数多《すうた》の不幸なる家族の悲鳴を省ず、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の胃中に滞留せり。警察の力を借りて退去を命ぜんと威嚇するものありしが、該人物は依然聴許せず。※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の胃中よりは笑声洩れ聞え、又※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹を切開せんと脅迫するに至る。憫むべき※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]は斯の如き長大なる物を呑みたる為め頻に落涙しをれり。我国の古諺《こげん》に曰く。速《まね》かざる客は韃靼人《だつたんじん》よりも忌《い》まると。※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]は縦令《たとへ》落涙すとも、胃中の寄住者を如何《いかん》ともする事能はざるなり。寄住者は永久に退去するを肯《がへん》ぜざるものゝ如し。吾人はこの人物の何故に斯の如き蛮行を敢てしたるかを説明する事能はずと雖、この事実の我が同胞の未だ成熟せざるを証明し、外侮《ぐわいぶ》を招くべきを見て遺憾なき能はず。我国人に放縦《はうじゆう》の悪性質あるは、吾人の平素痛嘆する所なるが、この新事実は明かにこの性質を表示するものとす。試に問はん。彼の速かざる客はこの行為を以て何の目的を達せんとしたるか。温暖にして安楽なる住所を得んと欲せしか。果して然りとせば、彼の人物は何故に市中に就いて適当なる借家を捜索せざりしか。本市には廉価にして美麗に且便利なる借家少からず。ネワ河水を鉄管にて引きたる上水あり。瓦斯燈《がすとう》の装置あり。その完全なる物に至つては門衛をも家主《いへぬし》の支辨にて雇ひ入れあるにあらずや。吾人は最期に読者の注意を乞はんと欲する一事あり。即ち動物虐待の問題これなり。彼の肥胖漢を消化するは※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の為めには非常に困難なるべき事論なし。※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]は長大なる物を腹中に貯へ、寸毫も身を動かすこと能はずして盤中に横り、今将《いまゝさ》に悶死せんとすと云ふ。西欧諸国に於ては動物虐待者は一々法律上処罰せらるゝものなり。独り我が同胞は既に瓦斯燈を設け、人道車道を区別し、新式の家屋を建設すと雖、今に至るまで依然として蒙昧粗笨《まうまいそほん》の域を脱せざるなり。グリボエドツフの曰く。吾人の家屋は新なりと雖、吾人の成心《せいしん》は古しと。吾人はこの語の猶事実に合せざるを遺憾とす。なんとなれば吾人の家屋はその梯《はしご》を新にしたるのみにて実は古きなり。本紙は既に屡々注意を与へたるに拘はらず、ペエテルブルク町の商家ルキアノツフ氏の住宅には、庖厨より居室に通ずる階段の既に久しく腐朽せるものあり。右の階段は今|終《つひ》に陥落したり。而して同家に使役せらるゝ兵卒の妻アフイミア・スカピダロワは彼の階段を上下《じやうか》する毎に非常なる危険を冒せり。殊に水若くは薪を運搬する時を然りとす。昨夕《さくせき》八時三十分アフイミアは汁を盛れる瓶《へい》を持ちて彼の階段を通過する際、終に倒れて下肢《かし》骨折をなせり。吾人は不幸にして未だルキアノツフ氏の該階段を修繕せしむるに意ありや否やを詳《つまびらか》にせず。由来我国人の悟性は遅鈍なり。吾人は只この遅鈍の犠牲たる憫《あは》れむべき女子の既に病院に送られたる事を報道し得るのみ。因《ちなみ》に謂《い》ふヰルブルク町の木造人道の塵芥を掃除する奉公人は何故に往来人の靴を汚染する事を省みざるや。外国の例の如く塵芥は一所に堆積する如く掃き寄するに何の困難もなきにあらずや。」
己は呆《あきれ》てプロホルの顔を見て云つた。「これは何の事でせう。」
「なにが。」
「どうも※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]に呑まれたイワンに同情せずに、却て呑んだ※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]に同情してゐるぢやありませんか。」
「それが不思議ですか。動物にまで同情するのです。理性のない動物にまで同情するのです。これでは西欧諸国にも負けてゐませんね。あつちもそんな風ですから。へゝゝゝ。」変物《かはりもの》の老人はかう云つた切り、取り扱つてゐる書類の方に目を向けて、跡は無言でゐた。
己は二枚の新聞をポツケツトに捻ぢ込んで序にペエテルブルク新報やヲロスの外の日のをも集めて持つて、この日にはいつもより早く役所を出た。まだ約束の時刻までには、大ぶ時間があるが、己は急いで新道に往つて、せめて遠方からなり
前へ
次へ
全25ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング