3水準1−94−55]を空虚に製造して置けば、自然がそれを空虚の儘で置く事を許さないから、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の功用が生じて来る。空虚なものを、空虚の儘で置く事は、自然の単純な法則が許さないから、そこへ何物かが這入つて来なくてはならない。そこで※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]はなんでも手当り次第に呑まなくてはゐられない事になる。どうだね、分かるかね。さう云ふわけで※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]は人間を呑むのだ。詰まり空虚の功用の法則だと云つても好い。この法則は無論あらゆる生物に適用すると云ふわけには行かない。例之《たとへ》ば人間なんぞはそんな風に出来てはゐない。人間の頭は、空虚なれば空虚なだけ、物をその中へ入れようと云ふ要求を感じない。併しそんなのは破格と見做《みな》さなくてはならないのだね。こんな道理は、僕には今火を観るよりも明かになつてゐる。今僕が君に話して聞かせる事は、皆僕の智恵で発明したのだ。僕が自然の臓腑の中に這入つてゐて、自然の秘密の淵源に溯つてゐて、自然の脈搏を聞きながら自分で考へ出したのだ。語源学上に考へて見ても、僕の意見に一致してゐる所がある。この動物の名だがね、これは大食と云ふ意味に相違ない。クロコヂルと云ふ語は多分イタリア語のクロコヂルロから来てゐるだらう。このイタリア語はフアラオ王がエジプトを領してゐた時代のイタリア語だらうと思ふ。語源を調べて見たら、多分フランス語のクロケエと云ふ語と同じ来歴を持つてゐるだらう。今君に話しただけの事は、この盤をエレナの夜会の座敷へ運ばせた時、最初の講演として、公衆に向つて話す積りだ。」
 己は「これは熱病だ、余程熱度が高いに相違ない」と思つて心配でならないので、覚えずかう云つた。「君、何か少し気の鎮まるやうな薬を飲まうとは思はないかね。」
 イワンはひどく己を馬鹿にしたやうな調子で、答へた。「馬鹿な。それに仮に下剤なんぞを用ゐるとした所で、どうもこの場合でそれが利いてくれては少し困るよ。まあ、君の事だから、その位な智慧を出すだらうと、僕も予期してゐたのだ。」
「それはさうと薬にしろ食物《たべもの》にしろ、君はどうして有り付く事が出来るね。けふなんぞも午食《ひるしよく》はしたかね。」
「午食なんぞはしない。併し僕はちつとも腹はへつてゐない。多分今後もなんにも食はなくても済みさうだ。なにもそれに不思議はないよ。僕の体が※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の内部を全然充実させてゐるのだから、それと同時に僕自身も腹がへると云ふ事はないのだ。※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]だつてもこれから先|餌《ゑ》を遣るには及ぶまい。詰まり※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の方では僕を呑んでゐて満足してゐるし、僕の方では又※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の体からあらゆる滋養を取つてゐるわけだね。君は話に聞いてゐるかどうか知らないが、器量自慢の女は或る方法を以て自分の容貌を養ふものだ。それはどうするのだと云ふに、晩に寝る時体中に生肉を食つ付けて置く。それから翌朝になると香水を入れた湯に這入つて綺麗に洗ひ落す。さうするとさつぱりして、力が付いて、しなやかになつて、誰が見ても惚々するのだ。それと同じ事で、僕は※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の滋養になつてやるから、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の方から滋養物を己に戻してくれる。詰まり互に養ひ合つてゐるのだ。無論僕のやうな体格の人間を消化すると云ふ事は出来ないから、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]も多少胃が重いやうには感じてゐるだらう。胃は無いのだがね。それはまあどうでも好い。そこを考へて僕はこゝで余り運動をしないやうにしてゐる。なに、運動しようと思へば、勝手だがね。僕は唯人道の考から運動せずにゐて遣るのだ。併し兎に角勝手に動かずにゐるのだから、僕の現在の状態を不如意だと云へば、先この点位が思はしくないのだ。だからチモフエイが僕の事を窮境に陥つてゐると云つたのも、形容の詞だと見れば承認せられない事もないね。かう云つたからと云つて僕が困つてゐると思ふと違ふよ。僕はこれでもゐながらにして人類の運命を左右する事が出来るものだと云ふ事を証明して見せる積りだ。全体当節の新聞や雑誌に出てゐる、あらゆる大議論や新思想と云ふものは、あれは皆窮境に陥つてゐる人間が吐き出してゐるのだ。だからさう云ふ議論を褒めるには、動かない議論だと云ふぢやないか。
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