老人
ライネル・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)
森林太郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)価《あたひ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)生涯|大酒《たいしゅ》を飲み通したので

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だぶ/\した項《うなじ》の上に
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 ペエテル・ニコラスは七十五になつて、いろんな事を忘れてしまつた。昔の悲しかつた事や嬉しかつた事、それから週、月、年と云ふやうなものはもう知らない。只日と云ふもの丈はぼんやり知つてゐる。目は弱つてゐる。又日にまし弱つて行く。それで日の入りがぼやけた朱色に見え、日の出が褪めた桃色に見えるが、兎に角その交代して繰り返されて行くことが分かる。そして此交代は大体から言へばうるさい。だからそれを気に掛けるのは、馬鹿げた、無用な努力だと感ずる。春だの夏だのの価《あたひ》はもう分からない。いつだつて寒がつてゐる。さうでないことは、只稀にちよいとの間ある丈である。その暖い心持は煖炉のお蔭でも、太陽のお蔭でも、そんな事はどうでも好い
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