ュじんしゆ》のやうな視力を持つてゐて、世間の人が懐かしくなつた故人《こじん》を訪ふやうに、古い本を読む。世間の人が市《いち》に出て、新しい人を見るやうに新しい本を読む。
倦《う》めば砂の山を歩いて松の木立を見る。砂の浜に下りて海の波瀾《はらん》を見る。
僕《ぼく》八十八《やそはち》の薦《すす》める野菜の膳に向つて、飢を凌《しの》ぐ。
書物の外で、主人の翁の翫《もてあそ》んでゐるのは、小さい Loupe《ルウペ》 である。砂の山から摘んで来た小さい草の花などを見る。その外 Zeiss《ツアイス》 の顕微鏡がある。海の雫《しづく》の中にゐる小さい動物などを見る Merz《メルツ》 の望遠鏡がある。晴れた夜の空の星を見る。これは翁が自然科学の記憶を呼び返す、折々のすさびである。
主人の翁はこの小家に来てからも幻影を追ふやうな昔の心持を無くしてしまふことは出来ない。そして既往《きわう》を回顧してこんな事を思ふ。日《ひ》の要求に安んぜない権利を持つてゐるものは、恐らくは只天才ばかりであらう。自然科学で大発明をするとか、哲学や芸術で大きい思想、大きい作品を生み出すとか云ふ境地に立つたら、自分も現在に満足したのではあるまいか。自分にはそれが出来なかつた。それでかう云ふ心持が附き纏《まと》つてゐるのだらうと思ふのである。
少壮時代に心の田地《でんぢ》に卸された種子は、容易に根を断つことの出来ないものである。冷眼《れいがん》に哲学や文学の上の動揺を見てゐる主人の翁は、同時に重い石を一つ一つ積み畳《かさ》ねて行くやうな科学者の労作にも、余所《よそ》ながら目を附けてゐるのである。
Revue《ルヰユウ》 des《デ》 Deux《ドユウ》 Mondes《モオンド》 の主筆をしてゐた旧教徒 〔Brunetie're〕《ブリユンチエエル》 が、科学の破産を説いてから、幾多の歳月を閲《けみ》しても、科学はなかなか破産しない。凡《すべ》ての人為《じんゐ》のものの無常の中で、最も大きい未来を有してゐるものの一つは、矢張科学であらう。
主人の翁《おきな》はそこで又こんな事を思ふ。人間の大厄難になつてゐる病《やまひ》は、科学の力で予防もし治療もすることが出来る様になつて来た。種痘で疱瘡《はうさう》を防ぐ。人工で培養《ばいやう》した細菌やそれを種《う》ゑた動物の血清《けつせい》で、窒扶斯《チフス》を防ぎ実扶的里《ジフテリ》を直すことが出来る。Pest《ペスト》 のやうな猛烈な病も、病原菌が発見せられたばかりで、予防の見当は附いてゐる。癩病も病原菌だけは知られてゐる。結核も Tuberculin《ツベルクリン》 が予期せられた功を奏せないでも、防ぐ手掛りが無いこともない。癌《がん》のやうな悪性|腫瘍《しゆやう》も、もう動物に移し植ゑることが出来て見れば、早晩予防の手掛りを見出すかも知れない。近くは梅毒が Salvarsan《サルワルサン》 で直るやうになつた。Elias《エリアス》 Metschnikaff《メチユニコツフ》 の楽天哲学が、未来に属《しよく》してゐる希望のやうに、人間の命をずつと延べることも、或は出来ないには限らないと思ふ。
かくして最早|幾何《いくばく》もなくなつてゐる生涯の残余《ざんよ》を、見果てぬ夢の心持で、死を怖れず、死にあこがれずに、主人の翁《おきな》は送つてゐる。
その翁の過去の記憶が、稀に長い鎖のやうに、刹那の間に何十年かの跡を見渡させることがある。さう云ふ時は翁の炯々《けい/\》たる目が大きく※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》られて、遠い遠い海と空とに注がれてゐる。
これはそんな時ふと書き捨てた反古《ほご》である。
[#地から1字上げ](明治四十四年三月―四月)
底本:「日本文学全集4 森鴎外集」筑摩書房
1970(昭和45)年11月1日初版発行
入力:伊藤弘道
校正:伊藤時也
2000年5月16日公開
2006年5月10日修正
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