奄唐高n《アフオリスメン》 の旋律が聞えて来た。
生の意志を挫《くじ》いて無に入らせようとする、ショオペンハウエルの Quietive《クヰエチイフ》 に服従し兼ねてゐた自分の意識は、或時|懶眠《らんみん》の中から鞭《むち》うち起された。
それは Nietzsche《ニイチエ》 の超人《てうじん》哲学であつた。
併しこれも自分を養つてくれる食餌ではなくて、自分を酔はせる酒であつた。
過去の消極的な、利他的な道徳を家畜の群《むれ》の道徳としたのは痛快である。同時に社会主義者の四海同胞観《しかいどうはうくわん》を、あらゆる特権を排斥する、愚な、とんまな群の道徳としたのも、無政府主義者の跋扈《ばつこ》を、欧羅巴《ヨオロツパ》の街に犬が吠えてゐると罵つたのも面白い。併し理性の約束を棄てて、権威に向ふ意志を文化の根本に置いて、門閥《もんばつ》の為め、自我の為めに、毒薬と匕首《ひしゆ》とを用ゐることを憚《はばか》らない Cesare《チエザレ》 Borgia《ボルジア》 を、君主の道徳の典型としたのなんぞを、真面目に受け取るわけには行かない。その上ハルトマンの細かい倫理説を見た目には、所
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