ナ来た自然科学はどうしたか。帰つた当座一年か二年は Laboratorium《ラボラトリウム》 に這人つてゐて、ごつごつと馬鹿正直に働いて、本《もと》の杢阿弥説《もくあみせつ》に根拠を与へてゐた。正直に試験して見れば、何千年といふ間満足に発展して来た日本人が、そんなに反理性的生活をしてゐよう筈はない。初から知れ切つた事である。
さてそれから一歩進んで、新しい地盤の上に新しい Forschung《フオルシユング》 を企てようといふ段になると、地位と境遇とが自分を為事場《しごとば》から撥《は》ね出した。自然科学よ、さらばである。
勿論自然科学の方面では、自分なんぞより有力な友達が大勢あつて、跡に残つて奮闘してゐてくれるから、自分の撥ね出されたのは、国家の為めにも、人類の為めにもなんの損失にもならない。
只奮闘してゐる友達には気の毒である。依然として雰囲気《ふんゐき》の無い処で、高圧の下に働く潜水夫のやうに喘《あへ》ぎ苦んでゐる。雰囲気の無い証拠には、まだ Forschung《フオルシユング》 といふ日本語も出来てゐない。そんな概念を明確に言ひ現す必要をば、社会が感じてゐないのである。
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