サにある人類が首尾好く滅びても、又或る機会には次の人類が出来て、同じ事を繰り返すだらう。それよりか人間は生を肯定して、己を世界の過程に委《ゆだ》ねて、甘んじて苦を受けて、世界の救抜《きうばつ》を待つが好いと云ふのである。
自分は此結論を見て頭を掉《ふ》つたが、錯迷打破《さくめいだは》には強く引き附けられた。Disillusion《ヂスイリユウジヨン》 にはひどく同情した。そしてハルトマン自身が錯迷の三期を書いたのは、Max《マツクス》 Stirner《スチルネル》 を読んで考へた上の事であると自白してゐるのを見て、スチルネルを読んだ。それから無意識哲学全体の淵源《えんげん》だといふので、遡《さかのぼ》つて Schopenhauer《シヨオペンハウエル》 を読んだ。
スチルネルを読んで見ると、ハルトマンが紳士の態度で言つてゐる事を、無頼漢《ぶらいかん》の態度で言つてゐるやうに感ずる。そしてあらゆる錯迷《さくめい》を破つた跡に自我を残してゐる。世界に恃《たの》むに足るものは自我の外には無い。それを先きから先きへと考へると、無政府主義に帰着しなくては已《や》まない。
自分はぞつとした。
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