ス》を防ぎ実扶的里《ジフテリ》を直すことが出来る。Pest《ペスト》 のやうな猛烈な病も、病原菌が発見せられたばかりで、予防の見当は附いてゐる。癩病も病原菌だけは知られてゐる。結核も Tuberculin《ツベルクリン》 が予期せられた功を奏せないでも、防ぐ手掛りが無いこともない。癌《がん》のやうな悪性|腫瘍《しゆやう》も、もう動物に移し植ゑることが出来て見れば、早晩予防の手掛りを見出すかも知れない。近くは梅毒が Salvarsan《サルワルサン》 で直るやうになつた。Elias《エリアス》 Metschnikaff《メチユニコツフ》 の楽天哲学が、未来に属《しよく》してゐる希望のやうに、人間の命をずつと延べることも、或は出来ないには限らないと思ふ。
 かくして最早|幾何《いくばく》もなくなつてゐる生涯の残余《ざんよ》を、見果てぬ夢の心持で、死を怖れず、死にあこがれずに、主人の翁《おきな》は送つてゐる。
 その翁の過去の記憶が、稀に長い鎖のやうに、刹那の間に何十年かの跡を見渡させることがある。さう云ふ時は翁の炯々《けい/\》たる目が大きく※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》られて、遠い遠い海と空とに注がれてゐる。
 これはそんな時ふと書き捨てた反古《ほご》である。
[#地から1字上げ](明治四十四年三月―四月)



底本:「日本文学全集4 森鴎外集」筑摩書房
   1970(昭和45)年11月1日初版発行
入力:伊藤弘道
校正:伊藤時也
2000年5月16日公開
2006年5月10日修正
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