《は》ね上げられて、松林の松の梢《こずゑ》に引つ懸《かか》つてゐたといふ話のある此砂山には、土地のものは恐れて住まない。
河は上総《かづさ》の夷※[#「さんずい+((旡+旡)/鬲)」、第3水準1−87−31]川《いしみがは》である。海は太平洋である。
秋が近くなつて、薄靄《うすもや》の掛かつてゐる松林の中の、清い砂を踏んで、主人はそこらを一廻《ひとめぐ》りして来て、八十八《やそはち》という老僕の拵《こしら》へた朝餉《あさげ》をしまつて、今自分の居間に据わつた処である。
あたりはひつそりしてゐて、人の物を言ふ声も、犬の鳴く声も聞えない。只|朝凪《あさなぎ》の浦の静かな、鈍い、重くろしい波の音が、天地の脈搏《みやくはく》のやうに聞えてゐるばかりである。
丁度|径《わたり》一尺位に見える橙黄色《たうわうしよく》の日輪《にちりん》が、真向うの水と空と接した処から出た。水平線を基線にして見てゐるので、日はずんずん升《のぼ》つて行くやうに感ぜられる。
それを見て、主人は時間といふことを考へる。生といふことを考へる。死といふ事を考へる。
「死は哲学の為めに真の、気息を嘘《ふ》き込む神である、導きの神(Musagetes)である」と Schopenhauer《シヨオペンハウエル》 は云つた。主人は此|語《ことば》を思ひ出して、それはさう云つても好からうと思ふ。併し死といふものは、生といふものを考へずには考へられない。死を考へるといふのは生が無くなると考へるのである。
これまで種々の人の書いたものを見れば、大抵|老《おい》が迫つて来るのに連れて、死を考へるといふことが段々切実になると云つてゐる。主人は過去の経歴を考へて見るに、どうもさういふ人々とは少し違ふやうに思ふ。
* * *
自分がまだ二十代で、全く処女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出来事に反応して、内には嘗《かつ》て挫折《ざせつ》したことのない力を蓄へてゐた時の事であつた。自分は伯林《ベルリン》にゐた。列強の均衡を破つて、独逸《ドイツ》といふ野蛮な響の詞《ことば》にどつしりした重みを持たせたヰルヘルム第一世がまだ位にをられた。今のヰルヘルム第二世のやうに、〔da:monisch〕《デモオニシユ》 な威力を下《しも》に加へて、抑へて行かれるのではなくて、自然の重みの下に社会民政党は喘《あ
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