とは違ふ。
 予はノラの家の「前房」と云ふことを書いた。これは廊下のやうになつてゐる所だ、玄關前の小座敷だ、玄關だと教へて貰つた。しかもそれが諾威の家ではと丁寧にことわつてある。前房が廊下のやうになつてゐることは、西洋諸國皆さうである。前房と云ふ語は大抵どの國にもあつて、予は二三十年來同一の意味に使つてゐる。前房への戸を玄關への戸と書けと教へては貰つたものの、こいつは少しをかしい。一體玄關とは禪寺の門ださうだ。人家では正面の入口である。玄關の戸はあつても、玄關への戸はあるまい。又玄關の前の小座敷も一人合點の語である。

      飴玉とマクロン

 ノラの食べる菓子を予はマクロンと書いた。それを飴玉と書けと教へて貰つた。これなんぞにはあつとばかりに驚かざることを得ない。Almond を入れた Macron は大きいブリキの罐に入れたのが澤山舶來してゐて、青木堂からいつでも買はれる。西洋の女がマクロンを食ふ場合と、日本の子供が飴玉を食ふ場合との相違はどの位違ふか、少し考へて見るが好い。誰やらの小説に、パリイの女學生二人がカルチエエ・ラテンの下宿あたりでマクロンを頬張りながら失戀の話をしてゐる所がある。あそこなんぞを飴玉にしたら、さぞ面白からう。日本固有の物で、ふさはしいものにして書けと云ふ教であるが、予なんぞは努めて日本固有の物を避けて、特殊の感じを出さうとしてゐる。それもふさはしい物ならまだしもである。日本固有の物にして、しかもふさはしくないと來てはたまらない。
 此二三日の暑さは非常である。何一つ纏まつた物は書けない。そこへ來て書け/\と責められて、こんなくだらぬ物を書いた。どうぞ惡しからず。



底本:「鴎外全集 第二十六卷」岩波書店
   1973(昭和48)年12月22日発行
底本の親本:「現代二十名家文章作法講話」東京萬卷堂
   1914(大正3)年12月発行
初出:「現代二十名家文章作法講話」東京萬卷堂
   1914(大正3)年12月発行
入力:岩澤秀紀
校正:染川隆俊
2009年10月14日作成
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