曲的な原因があるだらうと云ふ推測をさせるのが、何より易い事である。併し墓の下に這入つた跡に、僕は少しもそんな葛藤を残して置きたくない。それよりは此決心を僕の胸の中《うち》で熟せしめた事情を、簡単に君に説明して聞かす方が好からうと、僕は思ふ。その決心は此間から出来てゐて、これから暫時《ざんじ》の後に実行する筈になつてゐるのである。
 ねえ、君、世間には恋愛、心痛、厭世、怯懦《けふだ》、自惚《うぬぼれ》、公憤から自殺する人があるのだね。併し僕はこんな動機の中のどれにも動かされて死ぬるのではない。僕は誰に対しても不正な事をしたことはない。又世間の耳目を聳動《しようどう》して見ようなんぞとは思はない。恐怖や絶望のために、こんな決心をしたのではない。人生は僕のためには十分耐へ忍んで行くことの出来るものである。僕は我生存の上に煩累をなす何物をも見出さない。僕には失恋の恨は無い。啻《ただ》に恨が無いばかりではない。目下頗る心を怡《たのし》ましむるに足る情人を我所有としてゐる。然るに僕は此手紙を書いてしまふと、あの黯澹たる深紅色の我目を喜ばしむる、美しい波斯の氈の上で自殺しようと思ふ。
 一体妙な事ではないかねえ。僕が酒にも酔つてゐず、気も狂つてゐない所を見ると、一層妙ぢやないか。勿論僕は此自殺によつて、何の自ら利する所もないが、それでも僕は此遂行を十分合理で自然だと認めてゐると云ふことを明言することが出来る。僕は此外に行くべき途を有せない。僕のためには此死が恰も呼吸の如き、避くべからざる行為である。尋常で必然な行為である。詰まり僕の今日《こんにち》までの生活は此点に到達しようとする、秘密な序幕である。僕はかうしなくてはならないやうに前から極められてゐるのだ。
 我々は偶然の出来事を漫《みだ》りに行為の原因だとすることがある。若しそんな風な物の考方を僕がするなら、僕は或る女のために死ぬるのだと云ふことが出来るだらう。なぜと云ふに、僕の心の内で行はれてゐる事、即ち僕の「前定《ぜんてい》」とでも名づくべき或る物を、僕に示してくれる徴候は、その女の傍にゐる時一層明かに見えるからである。併し此女がどれ丈僕の死に影響してゐるかと云ふと、それは真に道の上の一|塊《くわい》の石、風景の中の一|株《しゆ》の樹より大《だい》なる影響を与へてはゐない。だから此刹那に僕が此女の影像を思ひ浮べるのは、それ
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