邇コ内へ飛び込むことが出来るのだ。」
「そこで君に注意して貰ひたいのは、そんな冒険な事を旨く為遂《しと》げるには、そいつが非常な軽捷な奴でなくてはならぬと云ふ点だ。僕の説明するのはさう云ふ軽業が不可能でないと云ふのが一つで、それからこれを為遂げるのは、非常に軽捷な奴でなくてはならぬと云ふのが二つだ。かう二段に分けて僕の説明を聞き取つて貰はなくてはならないのだね。」
「この説明を聞いたところで、君には多分不得心な廉《かど》があるだらう。それは窓から這入つて行く奴が非常に軽捷でなくてはならぬと云ふ半面には、そんな軽捷な働を要求する為事を為遂るのは困難だらうと疑はなくてはならぬと云ふことがあるからだ。刑事の役人共も大抵さう云ふ考方をするが、それは理性の歩んで行くべき正当な道筋でないのだ。僕なんぞは只真理を目掛けて、一直線に進んで行く。この場合に僕が君に対してしてゐる説明は、その非常な軽捷な体と、例の不思議な、鋭い、又は叫ぶやうな声とを連係させて考へて貰はうとするにあるのだ。あの証人共が区々《まち/\》な聞き取りやうをした、詞に組み立てられてゐなかつた声と連係させるのだね。」
これまで聞いた時、僕はドユパンの説明が、不確ながら、どうやらぼんやり分かり掛かつたやうな気がした。今少しで分かりさうになつて、まだ分からないと云ふ点に到着した。好く忘れた事を思ひ出さうとする時、誰にもそんな経験があるものだが、今少しで思ひ出されさうで、やはり思ひ出されないのだ。友達は語を継いだ。
「僕はあの窓の話をしてゐるうちに、窓を逃道として考へることを止めて、入口として考へることにした。併し僕は這入るにも出るにも、あの窓を使つたものだと考へてゐるから、それで差支へないのだ。そこであの室内の状況を思ひ出して見てくれ給へ。箪笥の抽斗《ひきだし》は引き出して、中が掻き廻してあつて、何か取つたものらしいが、まだ、跡に品物は沢山残つてゐたと云ふことだつたね。僕が考へると、これは随分不思議な、又馬鹿げた判断だ。跡に残つてゐたと云ふ衣類その外の品物が、抽斗にあつた品物の全部だつたかも知れないぢやないか。レスパネエ夫人と娘とは、世間と交際をした事もない。外へもめつたに出ない。さうして見ると衣類なんぞは沢山いらない筈だ。それに残つてゐる衣類は、その親子の女の身分としては極上等の衣類だとしなくてはならない。若し賊が
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