たり、或はまた迷信の霧に理性を鎖《とざ》されていて、こわい物見たさの穉《おさな》い好奇心に動かされて来たりするのを、あの血糸の通っている、マリショオな、デモニックなようにも見れば見られる目で、冷《ひやや》かに見ているのではあるまいか。こんな想像が一時浮んで消えた跡でも、僕は考えれば考えるほど、飾磨屋という男が面白い研究の対象になるように感じた。
僕はこう云う風に、飾磨屋と云う男の事を考えると同時に、どうもこの男に附いている女の事を考えずにはいられなかった。
飾磨屋の馴染《なじみ》は太郎だと云うことは、もう全国に知れ渡っている。しかしそれよりも深く人心に銘記せられているのは、太郎が東京で最も美しい芸者だと云う事であった。尾崎紅葉君が頬杖《ほおづえ》を衝《つ》いた写真を写した時、あれは太郎の真似をしたのだと、みんなが云ったほど、太郎の写真は世間に広まっていたのである。その紅葉君で思い出したが、僕はこの芸者をきょう始て見たのではない。
この時より二年程前かと思う。湖月に宴会があって行って見ると、紅葉君はじめ、硯友社《けんゆうしゃ》の人達が、客の中で最多数を占めていた。床の間に梅と水仙の
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