そ》みしさまざまの絃《いと》の鬼、ひとりびとりに窮《きわみ》なき怨《うらみ》を訴へをはりて、いまや諸声《もろごえ》たてて泣響《なきとよ》むやうなるとき、訝《いぶか》かしや、城外に笛の音《ね》起りて、たどたどしうも姫が「ピヤノ」にあはせむとす。
 弾《だん》じほれたるイイダ姫は、暫く心附かでありしが、かの笛の音ふと耳に入りぬと覚しく遽《にわか》にしらべを乱《みだ》りて、楽器の筐《はこ》も砕《くだ》くるやうなる音をせさせ、座を起ちたるおもては、常より蒼《あお》かりき。姫たち顔見合せて、「また欠唇《いぐち》のをこなる業《わざ》しけるよ。」とささやくほどに、外《と》なる笛の音絶えぬ。
 主人の伯は小部屋より出でて、「物くるほしきイイダが当座の曲は、いつものことにて珍らしからねど、君はさこそ驚きたまひけめ、」とわれに会釈しぬ。
 絶えしものの音わが耳にはなほ聞えて、うつつごころならず部屋へ還《かえ》りしが、こよひ見聞しことに心奪はれていもねられず。床をならべしメエルハイムを見れば、これもまだ醒《さ》めたり。問はまほしきことはさはなれど、さすがに憚《はばか》るところなきにあらねば、「さきの怪しき笛
前へ 次へ
全35ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング