ころに許したまふなるべし。イイダといふ姫は丈《たけ》高く痩肉《やせじし》にて、五人の若き貴婦人のうち、この君のみ髪黒し。かの善くものいふ目《まみ》をよそにしては、外の姫たちに立ちこえて美しとおもふところもなく、眉《まゆ》の間にはいつも皺《しわ》少しあり。面のいろの蒼《あお》う見ゆるは、黒き衣のためにや。
 食終りてつぎの間にいづれば、ここはちひさき座敷《ザロン》めきたるところにて、軟き椅子《いす》、「ゾファ」などの脚《あし》きはめて短きをおほく据《す》ゑたり。ここにて珈琲《カッフェー》の饗応《もてなし》あり。給仕のをとこ小盞《こさかずき》に焼酎《しょうちゅう》のたぐひいくつか注《つ》いだるを持《も》てく。あるじの外には誰も取らず、ただ大隊長のみは、「われ一個人にとりては『シャルトリョオズ』をこそ、」とて一息に飲みぬ。この時わが立ちし背のほの暗きかたにて、「一個人、一個人」とあやしき声して呼ぶものあるに、おどろきて顧《かえり》みれば、この間の隅にはおほいなる鍼《はり》がねの籠《かご》ありて、そが中なる鸚鵡《おうむ》、かねて聞きしことある大隊長のこと葉をまねびしなりけり。姫たち、「あな生憎《あいにく》の鳥や」とつぶやけば、大隊長もみづからこわ高に笑ひぬ。
 主人《あるじ》は大隊長と巻烟草|喫《の》みて、銃猟の話《はなし》せばやと、小部屋《カビネット》のかたへゆくほどに、われはさきよりこなたを打守《うちまも》りて、珍らしき日本人にものいひたげなる末の姫に向ひて、「このさかしき鳥はおん身のにや、」とゑみつつ問へば。「否《いな》、誰《たれ》のとも定らねど、われも愛《め》でたきものにこそ思ひ侍《はべ》れ。さいつ頃までは、鳩《はと》あまた飼ひしが、あまりに馴れて、身に※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]《まつ》はるものをイイダいたく嫌へば、皆人に取らせつ。この鸚鵡のみは、いかにしてかあの姉君を憎めるがこぼれ幸《ざいわい》にて、今も飼はれ侍り。さならずや。」と鸚鵡のかたへ首《こうべ》さしいだしていふに、姉君憎むてふ鳥は、まがりたる嘴《はし》を開きて、「さならずや、さならずや」と繰返しぬ。
 この隙《ひま》にメエルハイムはイイダひめの傍に居寄《いよ》りて、なに事をかこひ求むれど、渋《しぶ》りてうけひかざりしに、伯爵夫人も言葉を添へ玉ふと見えしが、姫つと立ちて「ピヤノ」にむかひぬ。下部《しもべ》いそがはしく燭《しょく》をみぎひだりに立つれば、メエルハイムは「いづれの譜をかまゐらすべき、」と楽器のかたはらなる小卓《こづくえ》にあゆみ寄らむとせしに、イイダ姫「否、譜なくても」とて、おもむろに下《おろ》す指尖《ゆびさき》木端《タステン》に触れて起すや金石の響。しらべ繁くなりまさるにつれて、あさ霞《がすみ》の如きいろ、姫が瞼際《けんさい》に顕《あらわ》れ来《き》つ。ゆるらかに幾尺の水晶の念珠《ねんじゅ》を引くときは、ムルデの河もしばし流をとどむべく、忽《たちま》ち迫りて刀槍《とうそう》斉《ひとし》く鳴るときは、むかし行旅《こうりょ》を脅《おびやか》ししこの城の遠祖《とおつおや》も百年《ももとせ》の夢を破られやせむ。あはれ、この少女のこころは恒《つね》に狭き胸の内に閉ぢられて、こと葉となりてあらはるる便《たつき》なければ、その繊々《せんせん》たる指頭《ゆびさき》よりほとばしり出づるにやあらむ。唯《ただ》覚ゆ、糸声《しせい》の波はこのデウベン城をただよはせて、人もわれも浮きつ沈みつ流れゆくを。曲|正《まさ》に闌《たけなわ》になりて、この楽器のうちに潜《ひそ》みしさまざまの絃《いと》の鬼、ひとりびとりに窮《きわみ》なき怨《うらみ》を訴へをはりて、いまや諸声《もろごえ》たてて泣響《なきとよ》むやうなるとき、訝《いぶか》かしや、城外に笛の音《ね》起りて、たどたどしうも姫が「ピヤノ」にあはせむとす。
 弾《だん》じほれたるイイダ姫は、暫く心附かでありしが、かの笛の音ふと耳に入りぬと覚しく遽《にわか》にしらべを乱《みだ》りて、楽器の筐《はこ》も砕《くだ》くるやうなる音をせさせ、座を起ちたるおもては、常より蒼《あお》かりき。姫たち顔見合せて、「また欠唇《いぐち》のをこなる業《わざ》しけるよ。」とささやくほどに、外《と》なる笛の音絶えぬ。
 主人の伯は小部屋より出でて、「物くるほしきイイダが当座の曲は、いつものことにて珍らしからねど、君はさこそ驚きたまひけめ、」とわれに会釈しぬ。
 絶えしものの音わが耳にはなほ聞えて、うつつごころならず部屋へ還《かえ》りしが、こよひ見聞しことに心奪はれていもねられず。床をならべしメエルハイムを見れば、これもまだ醒《さ》めたり。問はまほしきことはさはなれど、さすがに憚《はばか》るところなきにあらねば、「さきの怪しき笛
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