まも》りたるに、胸にそうびの自然花を梢《こずえ》のままに着けたるほかに、飾りというべきもの一つもあらぬ水色ぎぬの裳裾《もすそ》、せまき間をくぐりながらたわまぬ輪を画きて、金剛石の露こぼるるあだし貴人の服のおもげなるをあざむきぬ。
 時うつるにつれて黄蝋の火は次第に炭の気《け》におかされて暗うなり、燭涙ながくしたたりて、床の上にはちぎれたる紗《うすぎぬ》、落ちたるはなびらあり。前座敷のビュッフェエにかよう足ようようしげくなりたるおりしも、わが前をとおり過ぐるようにして、小首かたぶけたる顔こなたへふり向け、なかば開けるまい扇に頤《おとがい》のわたりを持たせて、「われをばはや見忘れやしたまいつらん」というはイイダ姫なり。「いかで」といらえつつ、二足三足《ふたあしみあし》つきてゆけば、「かしこなる陶物《すえもの》の間見たまいしや、東洋産の花瓶《はながめ》に知らぬ草木鳥獣など染めつけたるを、われに釈《と》きあかさん人おん身のほかになし、いざ」といいて伴いゆきぬ。
 ここは四方《よも》の壁に造りつけたる白石の棚《たな》に、代々の君が美術に志ありてあつめたまいぬる国々のおお花瓶《はながめ》、かぞうる
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