に照されて、苦しき胸をしずめんためにや、このいただきの真中《まなか》なる切石に腰うちかけ、かのものいう目の瞳《ひとみ》をきとわが面に注ぎしときは、常は見ばえせざりし姫なれど、さきに珍らしき空想の曲かなでしときにもまして美しきに、いかなればか、某《なにがし》の刻みし墓上の石像に似たりとおもわれぬ。
姫はことばせわしく、「われ君が心を知りての願いあり。かくいわばきのうはじめて相見て、ことばもまだかわさぬにいかでと怪しみたまわん。されどわれはたやすく惑うものにあらず。君演習すみてドレスデンにゆきたまわば、王宮にも招かれ国務大臣の館《たち》にも迎えられたもうべし」といいかけ、衣の間より封じたる文《ふみ》を取り出でてわれに渡し、「これを人知れず大臣の夫人に届けたまえ、人知れず」と頼みぬ。大臣の夫人はこの君の伯母御《おばご》にあたりて、姉君さえかの家にゆきておわすというに、はじめてあえること国人《くにびと》の助けを借らでものことなるべく、またこの城の人に知らせじとならば、ひそかに郵便に附してもよからんに、かく気をかねて希有《けう》なる振舞いしたまうを見れば、この姫こころ狂いたるにはあらずやとおも
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