うちにひそみしさまざまの絃《いと》の鬼、ひとりびとりにきわみなき怨《うら》みを訴えおわりて、いまや諸声《もろごえ》たてて泣きとよむようなるとき、いぶかしや、城外に笛の音起りて、たどたどしゅうも姫が「ピヤノ」にあわせんとす。
弾《だん》じほれたるイイダ姫は、しばらく心づかでありしが、かの笛の音ふと耳に入りぬと覚しくにわかにしらべを乱りて、楽器の筐《はこ》も砕くるようなる音をせさせ、座をたちたるおもては、常より蒼かりき。姫たち顔見合せて、「また欠唇《いぐち》のおこなる業《わざ》しけるよ」とささやくほどに、外《と》なる笛の音絶えぬ。
主人の伯は小部屋《カビネット》より出でて、「ものくるおしきイイダが当座の曲は、いつものことにて珍らしからねど、君はさこそ驚きたまいけめ」とわれに会釈《えしゃく》しぬ。
絶えしものの音わが耳にはなお聞えて、うつつごころならず部屋へかえりしが、こよい見聞きしことに心奪われていもねられず。床をならべしメエルハイムを見れば、これもまださめたり。問わまほしきことはさはなれど、さすがに憚《はばか》るところなきにあらねば、「さきの怪しき笛の音は誰がいだししか知りてやおわ
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