れて、白石《はくせき》の階《きざはし》のぼりゆくとき、園の木立を洩《も》るゆう日朱のごとく赤く、階の両側《ふたがわ》にうずくまりたる人首獅身《じんしゅししん》の「スフィンクス」を照したり。わがはじめて入るドイツ貴族の城のさまいかならん。さきに遠く望みし馬上の美人はいかなる人にか。これらもみな解きあえぬ謎《なぞ》なるべし。
四方《よも》の壁と穹窿《まるてんじょう》とには、鬼神竜蛇《きじんりょうだ》さまざまの形をえがき、「トルウヘ」という長櫃《ながびつ》めきたるものをところどころにすえ、柱には刻みたる獣の首《こうべ》、古代の楯《たて》、打ち物などをかけつらねたる間、いくつか過ぎて、楼上にひかれぬ。
ビュロオ伯は常の服とおぼしき黒の上衣のいとひろきに着かえて、伯爵夫人とともにここにおり、かねて相識れるなかなれば、大隊長と心よげに握手し、われをも引き合わさせて、胸の底より出ずるようなる声にてみずから名のり、メエルハイムには「よくぞ来たまいし」と軽く会釈しぬ。夫人は伯よりおいたりと見ゆるほどに起居《たちい》重けれど、こころの優しさ目《まみ》の色にいでたり。メエルハイムをかたわらへ呼びて、なにやらんしばしささやくほどに、伯。「きょうの疲れさぞあらん。まかりて憩《いこ》いたまえ」と人して部屋へいざなわせぬ。
われとメエルハイムとは一つ部屋にて東向きなり。ムルデの河波は窓の直下のいしずえを洗いて、むかいの岸の草むらは緑まだあせず。そのうしろなる柏《かしわ》の林にゆう靄《もや》かかれり。流れめての方にて折れ、こなたの陸《くが》膝《ひざ》がしらのごとくいでたるところに田舎家二三軒ありて、真黒なる粉ひき車の輪|中空《なかぞら》にそびえ、ゆん手には水にのぞみてつきだしたる高殿の一間あり。この「バルコン」めきたるところの窓、うち見るほどに開きて、少女のかしら三つ四つ、おりかさなりてこなたをのぞきしが、白き馬にのりたりし人はあらざりき。軍服ぬぎて盥卓《たらいづくえ》のそばへ倚《よ》らんとせしメエルハイムは、「かしこは若き婦人がたの居間なり、無礼《なめ》なれどその窓の戸|疾《と》くさしてよ」とわれに請いぬ。
日暮れて食堂に招かれ、メエルハイムとともにゆくおり、「この家に若き姫たちの多きことよ」と問いつるに。「もと六人《むたり》ありしが、一人はわが友なるファブリイス伯にとつぎて、のこれるは五人《いつたり》なり」「ファブリイスとは国務大臣の家ならずや」「さなり、大臣の夫人はここのあるじの姉にて、わが友というは大臣のよつぎの子なり」
食卓につきてみれば、五人の姫たちみなおもいおもいの粧《よそお》いしたる、その美しさいずれはあらぬに、上の一人の上衣も裳《も》も黒きを着たるさま、めずらしと見れば、これなんさきに白き馬にのりたりし人なりける。ほかの姫たちは日本人めずらしく、伯爵夫人のわが軍服ほめたもう言葉の尾につきて、「黒き地に黒きひもつきたれば、ブラウンシュワイヒの士官に似たり」と一人いえば、桃色の顔したる末の姫、「さにてもなし」とまだいわけなくもいやしむいろえ包までいうに、皆おかしさに堪えねば、あかめし顔を汁《ソップ》盛れる皿《さら》の上にたれぬれど、黒き衣の姫は睫《まつげ》だに動かさざりき。しばしありておさなき姫、さきの罪あがなわんとやおもいけん、「されどかの君の軍服は上も下もくろければイイダや好みたまわん」というを聞きて、黒き衣の姫ふりむきてにらみぬ。この目は常におち方にのみ迷うようなれど、ひとたび人の面に向いては、言葉にも増して心をあらわせり。いまにらみしさまは笑みをおびてしかりきと覚ゆ。われはこの末の姫の言葉にて知りぬ、さきに大隊長がメエルハイムのいいなずけの妻ならんといいしイイダの君とは、この人のことなるを。かく心づきてみれば、メエルハイムが言葉も振舞いも、この君をうやまい愛《め》ずと見えぬはなし。さてはこの中はビュロオ伯夫婦もこころに許したもうなるべし。イイダという姫は丈《たけ》高く痩肉《やせじし》にて、五人の若き貴婦人のうち、この君のみ髪黒し。かのよくものいう目をよそにしては、ほかの姫たちに立ちこえて美しとおもうところもなく、眉の間にはいつも皺《しわ》少しあり。面のいろの蒼《あお》う見ゆるは、黒き衣のためにや。
食《しょく》終りてつぎの間に出ずれば、ここはちいさき座敷めきたるところにて、やわらかき椅子《いす》、「ゾファ」などの脚きわめて短きをおおくすえたり。ここにて珈琲《カッフェエ》のもてなしあり。給仕のおとこ小盞《こさかずき》に焼酎《しょうちゅう》のたぐいいくつかついだるを持てく。あるじのほかには誰《たれ》も取らず、ただ大隊長のみは、「われ一個人にとりては『シャルトリョオズ』をこそ」とてひと息に飲みぬ。このときわが立ちし背のほの暗きかた
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