みの下に眠つてゐるからである。両手を胸の創口の上に組み合せて眠つてゐる。此創が一七七九年三月三日にあれが若い命を忽然《こつぜん》絶つてしまつたのである。
バルタザルは三十になり掛けてゐた。丁度バルタザルの父と己の父とが小さい時から近附きになつてゐたやうに、バルタザルと己とも早くから親しい友達になつてゐた。己達二人は殆ど同時に父を喪つた。その亡くなつた父も略《ほゞ》同年位であつた。あれが館《やかた》と己の館とは隣同士になつてゐて、二つの館が同じ運河の水に影をうつして、変つた壁の色を交ぜ合つてゐた。バルタザルが館の正面は白塗で、それに大さの違ふ淡紅色《たんこうしょく》の大理石で刻んだロゼツトが二つ嵌めてあつた。それが化石した花のやうに見えた。己の家族の住んでゐる館、即ちヰマニ家の館は、壁が赤み掛かつた色に塗つてあつた。館から運河に降りる石階《せきかい》の上の二段は、久しく人に踏まれて※[#「元+りっとう」、第3水準1−14−60、82−下−13]《ち》びてすべつこくなつてゐた。上から三段目は水に漬《つか》つたり水の上に出たりするので、湿つてぬる/\してゐた。
大抵バルタザルは毎日此石階
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