の青く清らにて物問ひたげに愁を含める目《まみ》の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
 彼は料《はか》らぬ深き歎きに遭ひて、前後を顧みる遑なく、こゝに立ちて泣くにや。我が臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、余は覺えず側に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累なき外人《よそひと》は、却りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大膽なるに呆れたり。
 彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が眞率なる心や色に形《あら》はれたりけん。「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。又た我母の如く。」暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬を流れ落つ。
「我を救ひ玉へ、君。わが耻なき人とならんを。母はわが彼の言葉に從はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らでは※[#「りっしんべん+(はこがまえ<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》はぬに、家に一錢の貯だになし。」
 跡は欷歔《ききよ》の聲のみ。我眼はこのうつむきたる少女の顫ふ項《うなじ》にのみ注がれたり。
「君が家に送り行かんに、先づ心を鎭め玉へ。聲をな人
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