の言葉の端に、本國に歸りて後も倶にかくてあらば云々といひしは、大臣のかく宣ひしを、友ながらも公事なれば明には告げざりし歟。今更おもへば、余が輕卒にも彼に向ひてエリスとの關係を絶たんといひしを、早く大臣に告げやしけん。
 嗚呼、獨逸に來し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の絲は解くに由なし。曩《さき》にこれを繰つりしは、我某省の官長にて、今はこの絲、あなあはれ、天方伯の手中に在り。余が大臣の一行と倶にベルリンに歸りしは、恰も是れ新年の旦《あした》なりき。停車場に別を告げて、我家をさして車を驅りつ。こゝにては今も除夜に眠らず、元旦に眠るが習なれば、萬戸寂然たり。寒さは強く、路上の雪は稜角《かど》ある氷片となりて、晴れたる日に映じ、きら/\と輝けり。車はクロステル街に曲りて、家の入口に駐まりぬ。この時※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]を開く音せしが、車よりは見えず。馭丁に「カバン」持たせて梯《きざはし》を登らんとする程に、エリスの梯を駈け下るに逢ひぬ。彼が一聲叫びて我頸を
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