れたる外套を背に被ひて手をば通さず帽を取りてエリスに接吻して樓を下りつ。彼は凍れる※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]を明け、亂れし髮を朔風に吹かせて余が乘りし車を見送りぬ。
余が車を下りしは「カイゼルホオフ」の入口なり。門者《かどもり》に祕書官相澤が室の番號を問ひて、久しく踏み慣れぬ大理石の階を登り、中央の柱に「プリユツシユ」を被へる「ゾフア」を据ゑつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。外套をばこゝにて脱ぎ、廊《わたどの》をつたひて室の前まで往きしが、余は少し踟※[#「足へん+厨」、第3水準1−92−39]《ちちゆ》したり。同じく大學に在りし日に、余が品行の方正なるを激賞したる相澤が、けふは怎《いか》なる面もちして出迎ふらん。室に入りて相對して見れば、形こそ舊に比ぶれば肥えて逞ましくなりたれ、依然たる快活の氣象、我失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。別後の情を細叙するにも遑あらず、引かれて大臣に謁し、委托せられしは獨逸語にて記せる文書の急を要するを飜譯せよとの事なり。余が文書を受領して大臣の室を出でし時、相澤は跡より來て余と午餐を共にせんといひぬ。
食卓にては彼多く問ひて
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