て襁褓《むつき》縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。「いかにかし玉ひし。おん身の姿は。」
驚きしも宜《うべ》なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつの間にか失ひ、髪は蓬《おど》ろと乱れて、幾度か道にて跌《つまづ》き倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪に※[#「さんずい+于」、第3水準1−86−49]《よご》れ、処々は裂けたれば。
余は答へんとすれど声出でず、膝の頻《しき》りに戦《をのゝ》かれて立つに堪へねば、椅子を握《つか》まんとせしまでは覚えしが、その儘《まゝ》に地に倒れぬ。
人事を知る程になりしは数週《すしう》の後なりき。熱劇しくて譫語《うはこと》のみ言ひしを、エリスが慇《ねもごろ》にみとる程に、或日相沢は尋ね来て、余がかれに隠したる顛末《てんまつ》を審《つば》らに知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕《つくろ》ひ置きしなり。余は始めて、病牀に侍するエリスを見て、その変りたる姿に驚きぬ。彼はこの数週の内にいたく痩せて、血走りし目は窪み、灰色の頬《ほ》は落ちたり。相沢の助にて日々の生計《たつき》には窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺しゝなり。
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