とよせて房《へや》の裡《うち》にのみ籠《こも》りて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨に頭《かしら》のみ悩ましたればなり。此《この》恨は初め一抹の雲の如く我《わが》心を掠《かす》めて、瑞西《スヰス》の山色をも見せず、伊太利《イタリア》の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭《いと》ひ、身をはかなみて、腸《はらわた》日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳《かげ》とのみなりたれど、文《ふみ》読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度《いくたび》となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷《せう》せむ。若《も》し外《ほか》の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地《こゝち》すが/\しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心に彫《ゑ》りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴《ばうど》の来て電気線の鍵を捩《ひね》るには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。
 余は幼き比《ころ》より厳しき庭の訓《をしへ》を受けし甲斐《かひ》に、父をば早く喪《うしな》ひつれど、学問の荒《すさ》み衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でゝ予備黌《よびくわう》に通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田|豊太郎《とよたらう》といふ名はいつも一級の首《はじめ》にしるされたりしに、一人子《ひとりご》の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、某《なにがし》省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚え殊《こと》なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を踰《こ》えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々《はる/″\》と家を離れてベルリンの都に来ぬ。
 余は模糊《もこ》たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽《たちま》ちこの欧羅巴《ヨオロツパ》の新大都の中央に立てり。何等《なんら》の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と訳するときは、幽静なる境《さかひ》なるべく思はるれど、この大道|髪《かみ》の如きウンテル、デン、リ
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