廻って、井桁の外へ流れ落ちた。
「あら。直ぐにおっこってしまうのね。わたしどうなるかと思って、楽みにして遣《や》って見たのだわ」
「そりゃあおっこちるわ」
「おっこちるということが前から分っていて」
「分っていてよ」
「嘘《うそ》ばっかし」
打つ真似をする。藍染の湯帷子の袖が翻る。
「早く飲みましょう」
「そうそう。飲みに来たのだったわ」
「忘れていたの」
「ええ」
「まあ、いやだ」
手ん手に懐《ふところ》を捜《さぐ》って杯を取り出した。
青白い光が七本の手から流れる。
皆銀の杯である。大きな銀の杯である。
日が丁度一ぱいに差して来て、七つの杯はいよいよ耀《かがや》く。七条の銀の蛇《へび》が泉を繞って奔《はし》る。
銀の杯はお揃で、どれにも二字の銘がある。
それは自然の二字である。
妙な字体で書いてある。何か拠《よりどころ》があって書いたものか。それとも独創の文字か。
かわるがわる泉を汲《く》んで飲む。
濃い紅の唇《くちびる》を尖《とが》らせ、桃色の頬《ほお》を膨らませて飲むのである。
木立のところどころで、じいじいという声がする。蝉《せみ》が声を試みるのである。
白い雲が散ってしまって、日盛りになったら、山をゆする声になるのであろう。
この時|只《ただ》一人坂道を登って来て、七人の娘の背後に立っている娘がある。
第八の娘である。
背は七人の娘より高い。十四五になっているのであろう。
黄金色の髪を黒いリボンで結んでいる。
琥珀《こはく》のような顔から、サントオレアの花のような青い目が覗《のぞ》いている。永遠の驚を以《もっ》て自然を覗いている。
唇だけがほのかに赤い。
黒の縁《へり》を取った鼠色の洋服を着ている。
東洋で生れた西洋人の子か。それとも相《あい》の子《こ》か。
第八の娘は裳《も》のかくしから杯を出した。
小さい杯である。
どこの陶器か。火の坑《あな》から流れ出た熔巌《ようがん》の冷《さ》めたような色をしている。
七人の娘は飲んでしまった。杯を漬《つ》けた迹《あと》のコンサントリックな圏《わ》が泉の面に消えた。
凸面をなして、盛り上げたようになっている泉の面に消えた。
第八の娘は、藍染の湯帷子の袖と袖との間をわけて、井桁の傍に進み寄った。
七人の娘は、この時始てこの平和の破壊者のあるのを知った。
そして
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング