に、プラトンは全身を震はせて、一種の恐怖が熱いものゝやうに心の臓に迫つて来るのを感じた。そして床に起き直つて耳を欹《そばだ》てゝ聞いてゐる。毒々しい声が「なぜ通過させないのだ」「どうして通過させないのだ」と云ふやうに思はれる。それから人事不省になつてゐると、誰やら受話器を持つて来て、無理に耳へ押し当てる。さうすると、こん度は意地の悪い外国通信記者の声がする。これは二三日前に会談をしたのである。それがこんな事を囁く。「どうですか。念の為め今一度承知して置きたいのですがな。どうしてもフランスの記事を一切通過させないと仰やるのですか。」とう/\しまひには、平生仲善しの衛生課長が幻のやうに見えて、顔をくしや/\にして叫んでゐる。
「どうも個人攻撃は行かん。我輩の監督してゐる汚物排除は善く行はれてゐるのに、毎号新聞で悪く言つてある。なぜあんな記事を通過させるのですか。どうも其筋へ言はんでは済まされんです。怪しからん。」
 そのうち体の中で不思議な感じがした。何物かがちぎれて、ちく/\引き吊つて、ぶる/\震えてゐる。それから傍の卓の上にあるコツプの水を取つて飲まうとすると、右の手が言ふことを聞かな
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