る。一体長官が此演説のやうな趣意の事を言つたのを、プラトンはこれまで聞いたことがない。長官はかう云つた。新聞紙は一の権威である。従来他の地方で発行してゐる新聞紙が、社会に利益を与へたことは非常である。先づこんな風に称讃するのを、プラトンは聞いてゐて、なる程「記者」諸君といふものは、そんなにえらいものか、就中《なかんづく》編輯長ミハイル・イワノヰツチユ君はそんな大人物かと、転《うた》た景慕の念に勝《た》へなかつた。さて此ヘロルド新聞も従来他の地方に行はれてゐる、有益なる新聞と比肩するに至らんことを希望すると云ふとき、ふいとプラトンが気が附くと、長官は自分の顔を見てゐたのである。プラトンは慌てゝ、何か自分の服装に間違つた処でもないかと、自分の体を偸《ぬす》み視たが、なんにも間違つてはゐない。そのうち長官の考が分かつた。長官は突然きつとプラトンと顔を見合せて、かう云つた。
「最後に一|言《げん》附け加へて置きたい事がある。兎角我国では、検閲官は新聞紙の敵だと云ふ想像が伝播せられてゐる。諸君。此の如きは時代精神と背馳してゐます。既に過去の観念に属してゐます。総ての進歩的思想の人が、新聞紙の良友であるが如く、検閲官も亦新聞紙の良友である筈であります。わたくしは特にプラトン・アレクセエヰツチユに望んで置きます。君は必ずや事を解する検閲官となられて、世間から圧制家を以て目せられるやうなことの無いことを望んで置きます。」
「決してさやうな事はいたしません。閣下の御趣意通りにいたします。」慌てて、汗を流してゐるプラトンは、震ふ声でかう云ふと同時に突然両眼に涙を浮べた。これは長官の仰せの通りに、新聞紙の良友にならうと、熱心に思つて、何か分からないながら、称讃に価するやうな、或る衝動に、突然襲はれて、その劇烈な感情の発作の結果として、目に涙が湧いたのであつた。
長官は演説の結末にかう云つた。「諸君。どうぞ相互に良友となつて、助け合つて、手を携へて、真理の光明に向つて進まれたいものです。どうぞ極端に奔《はし》られないやうにいたしたいものです。いかなる企業も、極端に奔れば有害になるのでありますが、就中印刷せられたる言論程、極端に奔つて危険を生ずるものはありますまい。」かう云つて置いて、一同に会釈をして、門へ出て、馬車に乗つて行つてしまつた。跡に残つた新聞紙の良友一同は、長官の進歩思想、人道思想に感激して已まなかつた。
それから午餐会があつた。我国では儀式とか祭とか葬《とむらひ》とか云へば、午餐会がなくてはならないからである。会は賑かで、さう/″\しく、愉快であつた。いろ/\の演説があつた。なる丈人道的に立論したいと、互に競ふらしかつた。料理の品数が多くて、果てしがないやうに思はれた。
新に生れた新聞の代表者達が、プラトンを特別に待遇した。プラトンは間もなく、さつき式場で万歳を唱へた時、自分が除けものゝ様に扱はれたことを忘れた。プラトンが席の一方には編輯長ミハイルが据わつてゐる。他の一方には発行を請け負つた書肆の主人がゐる。書肆は旁《かたは》ら立派な果物罐詰類の店を出してゐる、進歩思想の商人である。此二人がプラトンに種々《いろ/\》の葡萄酒や焼酎を勧めて、プラトンは応接に遑《いとま》あらずと云ふ工合である。酒には一々新聞の欄になぞらへた仇名が附けてある。并《なみ》の焼酎を「社説」と云ふ。コニヤツクを「電報」と云ふ。葡萄酒を「外国通信」と云ふなどの類である。
「どうです、プラトン・アレクセエヰツチユさん、最近の通信をもう一杯」と編輯長が侑《すゝ》める。
「もう行けません。目が廻りさうです。」
「そんならこの「雑報」の方にしませう。どうです。これなら、強過ぎはしないでせう。」
大勢の人の声が入り乱れて聞えるので、プラトンは気がぼうつとなつた。目の前には「記者」誰彼の顔が見えたり見えなくなつたりする。プラトンは総ての新聞社員を、通信員、校正掛まで皆記者だと思つてゐる。どれも/\引き合せられはしたが、何の誰やら、どんな為事《しごと》をする人やら、こんがらかつて分からなくなつてゐるのである。
プラトンは一人の男に問うた。「あなたのお受持ちはなんでしたつけね。外国通信でしたね。」
隣の編輯長が代りに答へる。「違ひますよ。隅にゐる先生は社説を受け持つてゐるのです。」
「外国通信の方《はう》はどなたでしたつけね。」
「それ、あそこの椅子に居眠をしてゐるでせう。あの男です」と、編輯長が云つた。
「本当のロシア人ですか」と、プラトンは書肆の耳に口を寄せて聞いた。
「さうですとも。正真正銘のロシア人です。」書肆は笑ひながら答へて、同時に一杯の「近事片々」を侑《すゝ》めた。近事片々とはリキヨオルの事である。
新聞社員は総てプラトンに親しくした。どの人も大ぶ飲んでゐ
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