る。外国通信記者がプラトンの傍へ来て腰を掛けて、プラトンの膝を叩いて、かう云つた。
「一体外国には盛んな事がありますね。」
「あなたは外国にお出の事がありましたか。」
「そんな事はどうでも好いです。行つて見るに及ぶもんですか。要するに外国での出来事は模範です。活きた歴史です。」叫ぶやうにかう云つて、人さし指で空中を掻き廻して、気味悪く光る目で、遠い処を見詰めてゐる。歴史その物の蘊奥《うんあう》を見てゞもゐるやうに。
「さうですとも。さうですとも。」プラトンは頻りに合点々々をしてかう云つた。そして非常に愉快に感じた。なんだか自分が長官にでもなつたやうである。新聞社がひどく自分を尊崇してくれるやうである。自分が手を出して補助して遣る、此新聞事業といふものが、ひどく重大なものゝやうに思はれるのである。
 演説が頻りにある。その声が次第に大きくなる。文章としての組立が次第にだらしなくなる。しまひにはとう/\意味のない饒舌になる。ナイフやフオオクの皿に当る音が次第に高くなる。瓶の栓を抜く音がする。烟草の烟が客の頭の上に棚引く。
 外国通信記者がプラトン・アレクセエヰツチユの為めに頌徳《しようとく》演説をした。一同プラトンの処へ、杯を打ち合せに来た。そして万歳を唱へた。唯社説記者ポトリヤソウスキイ丈は、顔を蹙《しか》めて隅の方に据わつた儘、起つて杯を打ち合せに来ようともしない。その上ちよつと編輯長を睨んで、少し唇を動かした。それから一同の騒ぎが鎮まるのを待つて、起ち上がつて、波を打つた髪を額から背後《うしろ》へ掻き上げて「理想」の詩といふものを歌ひ出した。
「自由の生みし理想なり。
よしや鎖に繋ぐとも、
理想は死なじ、とこしへに。」
 社説記者は歌ひ罷んで、「理想は死なない。決して死なないぞ。諸君」と云つて、一人で万歳を叫んだ。
 これには誰も異論はない。そこで万歳に和して、又杯を打ち合せた。プラトンの処へも打ち合せに来た。その時社説記者は、プラトンの傍へずつと寄つて来て、顔を蹙めてかう云つた。
「おい。ホレエシヨ君。(シエエクスピイアのハムレツト中の人物。)君は厭に黙り込んでゐるね。君は我輩共と飲んで丈はくれる。だがね、それでは僕は満足しない。一つ演説を願はう。君の信仰箇条を打ち明け給へ。君の Profession de foi をね。」
「何を言へと云ふのです。」
「君のプ
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