思想に感激して已まなかつた。
それから午餐会があつた。我国では儀式とか祭とか葬《とむらひ》とか云へば、午餐会がなくてはならないからである。会は賑かで、さう/″\しく、愉快であつた。いろ/\の演説があつた。なる丈人道的に立論したいと、互に競ふらしかつた。料理の品数が多くて、果てしがないやうに思はれた。
新に生れた新聞の代表者達が、プラトンを特別に待遇した。プラトンは間もなく、さつき式場で万歳を唱へた時、自分が除けものゝ様に扱はれたことを忘れた。プラトンが席の一方には編輯長ミハイルが据わつてゐる。他の一方には発行を請け負つた書肆の主人がゐる。書肆は旁《かたは》ら立派な果物罐詰類の店を出してゐる、進歩思想の商人である。此二人がプラトンに種々《いろ/\》の葡萄酒や焼酎を勧めて、プラトンは応接に遑《いとま》あらずと云ふ工合である。酒には一々新聞の欄になぞらへた仇名が附けてある。并《なみ》の焼酎を「社説」と云ふ。コニヤツクを「電報」と云ふ。葡萄酒を「外国通信」と云ふなどの類である。
「どうです、プラトン・アレクセエヰツチユさん、最近の通信をもう一杯」と編輯長が侑《すゝ》める。
「もう行けません。目が廻りさうです。」
「そんならこの「雑報」の方にしませう。どうです。これなら、強過ぎはしないでせう。」
大勢の人の声が入り乱れて聞えるので、プラトンは気がぼうつとなつた。目の前には「記者」誰彼の顔が見えたり見えなくなつたりする。プラトンは総ての新聞社員を、通信員、校正掛まで皆記者だと思つてゐる。どれも/\引き合せられはしたが、何の誰やら、どんな為事《しごと》をする人やら、こんがらかつて分からなくなつてゐるのである。
プラトンは一人の男に問うた。「あなたのお受持ちはなんでしたつけね。外国通信でしたね。」
隣の編輯長が代りに答へる。「違ひますよ。隅にゐる先生は社説を受け持つてゐるのです。」
「外国通信の方《はう》はどなたでしたつけね。」
「それ、あそこの椅子に居眠をしてゐるでせう。あの男です」と、編輯長が云つた。
「本当のロシア人ですか」と、プラトンは書肆の耳に口を寄せて聞いた。
「さうですとも。正真正銘のロシア人です。」書肆は笑ひながら答へて、同時に一杯の「近事片々」を侑《すゝ》めた。近事片々とはリキヨオルの事である。
新聞社員は総てプラトンに親しくした。どの人も大ぶ飲んでゐ
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